みことばの響き

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山内堅治神父のみことばの響き

気づきの機会

〈復活の主日〉ルカ24・1〜12


1-6.jpgペトロの家(カファルナウム) 修道院から『家庭の友』の編集室まで徒歩で約7分。その間の風景は、修道院前の小学校に始まり、民家、ホテル、コンビニ、和菓子の店、生花店など。同じコースを何度となく歩いていますが、ときどき新しい発見に出会ったりします。季節の草花の変化、ショーウィンドーの模様替えなど……。逆に言えば、単調に思える日々でも、視点をちょっと変えれば気づきの機会が豊富に与えられているのでしょう。

2-6.jpgペトロとパウロが捕らえられた牢獄(ローマ) イエスは死者の中から復活します。イエスは使徒たちに何度となく、「多くの苦しみを受け、……排斥されて殺され、三日目に復活する」ことを語っていました。(ルカ9・22、18・32〜33など)イエスを通して、使徒たちには気づきの機会がたくさん与えられていたにもかかわらず、いざその時になったらピンとこなかったのでしょう。婦人たちはイエスのことばを思い出し、復活に関する一部始終を知らせても、彼らには「たわ言」(ルカ24・11)のように思えました。

3-6.jpg聖サバ教会(ローマ) 「たわ言」は「レーロス」が使われ、「愚かな話」「ナンセンス」の意味があり、使徒たちにしてみれば、イエスと長い間生活を共にしてきたので、婦人たちよりもイエスのことをよく知っていると自負していたのではないでしょうか。婦人たちが知らせたことに対して、彼らは信じる気持ちになりません。婦人たちが使徒たちに語る用語として「アパンゲロー」が使われ、「告げる」「報告する」を意味します。彼女たちは自分たちが感じたままを報告したのに、使徒たちはイエスの復活について十分に理解できませんでした。

 主の復活に関するみことばを味わいながら、日々の生活の中でどんな気づきの機会があるかを、今一度振り返りたいものです。



イエスを愛する

〈復活節第3主日〉ヨハネ21・1〜19


4-5.jpg聖パウロ大聖堂(ローマ) 「愛」という言葉をギリシア語で調べてみると、4つ出てきます。エロース(性愛)、ストルゲー(親子の愛)、フィリア(友愛)、アガペー(神の愛/慈愛)(J・ハロルド・グリーン著/久保田周訳編『ギリシア語釈義文法の手引』いのちのことば社参照)。新約聖書に登場するのは、フィリアとアガペーの二つです。フィリアは友達のように何のわだかまりもなく愛すること、アガペーは自分を犠牲にしてまで他者を愛するようなこと。もちろん、人によって訳や解釈の仕方が異なるかもしれませんが……。

5-2.jpg聖プデンツィアーナ教会(ローマ) 今日の箇所には、「愛する」という言葉が何度となく登場します。日本語で読んでいくと、イエスからペトロへの問い、またペトロからイエスへの答えに「愛する」と同じように訳され、何の変化もないように感じますが、原文で読んでみるとその変化に気づきます。

6-1.jpg聖ペトロ(ルルド) 第一回目に、イエスがシモン・ペトロに「愛しているか」(アガペー/動詞はアガパオー)と尋ね、ペトロは「愛している」(フィリア/動詞はフィレオー)で答えます。第二回目も、イエスがシモンに「愛しているか」(アガペー)と尋ね、ペトロは第一回目と同様に「愛している」(フィリア)で答えます。ところが、第三回目になると違ってきます。イエスはシモンに「愛しているか」(フィリア)と尋ねます。イエスから三度も「愛しているか」と尋ねられ、悲しくなるとともに、イエスから「フィリア」で尋ねられて、ペトロは回答に躊躇します。かつてペトロは、イエスを三度「知らない」(マタ26・69〜75)と語った経緯があり、イエスを何のわだかまりもなく友愛のような気持ちでイエスに接することができるか……。ペトロは返答に窮したかもしれませんが、勇気をもって「わたしがあなたを愛している(フィリア)ことを、あなたはよく知っておられます」と答えます。ペトロのこの答えは、その後、勇気を持って歩んでいく試金石にもなりました。最後にイエスがペトロに語る「わたしに従いなさい」ということばはとても感動的です。

 イエスへの「愛」とともに、どんな時にも私たちを導いてくださるイエスが身近にいることを感じます。