山内堅治神父のみことばの響き
三位一体の教義
〈三位一体の主日〉ヨハネ16・12〜15
聖パトリック(西アイルランドのケリー) 「アイルランド」と聞いて、どんなイメージを持つでしょうか。コロンバン会、ケルト音楽、ギネスビールなど。それ以上に忘れてはならないのが、聖パトリック。彼のお祝いは3月17日ですが、この日が近づくと町全体が緑一色に様変わりします。緑の旗、緑の垂れ幕など…。
ダブリン市内 聖パトリックと緑色とのつながりは、5世紀初めに聖パトリックが宣教のため、アイルランドに着いた時に由来します。彼はキリスト教の中でも難しい教義、「三位一体」のことを島民たちにどのように教えようかと考えました。伝説によれば、彼の足下に生えていたシャムロック(三つ葉よりも少々小ぶりの緑色したアイルランドではよく見かける)を手に取り、三位一体の「御父、御子、聖霊が一つ」という教えを、葉は三つだが一つの茎で結ばれていることにたとえながら説明したと伝えられます。このような説明の中に、日常生活に密着した教義説明を感じるのではないでしょうか。
ケルト音楽 「三位一体」の教義については、聖アウグスチノも『三位一体論』と称して厚い書物を書いています。かなりのページ数に及び、その教義内容を簡単には説明できるものではありません。イエスが「今、あなたがたには理解できない」(ヨハネ16・12)と語るのも理解できます。そういう難しい教義だからこそ、私たちには「真理の霊」の助けが必要でしょう。
聖パトリック(ルルド) 難しい教義をどのように分かりやすく説明するか。聖パトリックのように、生活に密着したものから教義を見ていくと分かりやすいのかもしれません。現代であれば、楽器のトライアングル、三角形のおにぎりなど…。
理解しにくい三位一体の教義を、皆さんはどのように説明しますか?
深い愛情
〈年間第11主日〉ルカ7・36〜8・3
ノートルダム大聖堂(パリ) 私たちが食事をする時、椅子に座ったり、畳の上に座って食べたりしますが、イエスの時代には横になって食べるのが習慣でした。私たちの習慣からすると、マナーが悪いように感じますが…。そんな姿勢で食事をしていたイエスの足下に、一人の罪深い女性が近づいていき、足を涙でぬらし始めます。イエスに出会えたうれし涙、あるいは罪深さで悲嘆にくれた涙。イエスと食事を共にするファリサイ派の人々は、この女性が罪深い者であることを知っています。彼らの視線はいかほどであったことでしょう。
聖墳墓教会(エルサレム) その視線も気にせず、この女性は「いのち」とも言える自分の髪の毛でイエスの足をぬぐっていきます。当時、他人の足を洗うことは、僕や奴隷の仕事でした(ヨハネ13・5)。自分が罪深い者であることを認めつつ、キリストへの最高の尊敬と自らの謙遜をもって、イエスに奉仕します。
ゲッセマネ さらにイエスの足に接吻。「接吻する」は「カタフィレオー」が使われ、「愛情をもって接吻する」の意味があります。ルカに関連した箇所では、「放蕩息子のたとえ」で、「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(ルカ15・20)とか、「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した」(使徒20・37)と使われています。
スビアコ 面白いことに、ユダがキリストに接吻する場面においては、マタイ26・49とマルコ14・45では「カタフィレオー」を使っていても、並行箇所のルカ 22・47はその言葉ではなく「フィレオー」(愛する)を用いて、使い分けています。このことからも、この女性がイエスに対して深い愛情、尊敬を表しているのがよく分かるのではないでしょうか。
罪深い女性の行動一つひとつの中に、涙の意味、謙遜、奉仕、尊敬の在り方を考えさせられます。
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