山内堅治神父のみことばの響き
救いの訪れ
〈年間第31主日〉ルカ19・1〜10
旧約聖書の中に、「わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」(アモ7・14)と言うように、いちじく桑はパレスチナでは馴染みのある木です。日本ではちょっと見かけない木かもしれませんが、「いちじく桑」という名前から単純に、実はいちじく、葉は桑のような木と思えば分かりやすいでしょう。
エリコ 10年前になりますが、巡礼でエリコを旅したことがあります。町に入ると大きないちじく桑の木があり、英語とアラビア語でこの木についての説明が書いてありました。それを読んでいると、2000年前、ザアカイがこの場所でキリストに出会ったのかと感慨にふけりました。今ではエリコに入るためにチェックポイントがあり、昔ほど容易ではありませんが、自由に出入りできる日を待ち望んでいます。
さて今日のみことばに登場するザアカイは、徴税の仕事をしていたため、多くの人びとに嫌われていました。特に、人びとから不当に税を取り立てていたということで…。徴税人という身分から彼は、罪人のような扱いを受け、孤独な体験もしたことでしょう。しかも徴税人の頭だったので、人びとからの嫌われ方も半端ではなかったはずです。そんな彼にイエスは「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言います。「今日」は何気ないことばですが、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2・11)、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4・21)というように、ルカにとって「今日」というのは救いに関連した重要なことばです。日本語訳では「ぜひあなたの家に泊まりたい」と柔らかく響きますが、原文では「デイ」が使われ、直訳すると「ぜひあなたはわたしを泊めなければならない」と、とても強い言い方になっています。イエス自身が、多くの人びとの救いのため、罪人と思われていたような徴税人の家にあえて赴くところに、イエス自身が積極的に関わっていく姿がみごとに描写された箇所です。
このみことばを味わいながら、イエスがいろいろな形で私たちのもとへ訪れてくださっていることを感じたいものです。「今日」一日もまた……。
神殿の崩壊
〈年間第29主日〉ルカ21・5〜19
エルサレムの神殿はいったいどれくらいの規模だったのでしょうか。エルサレム郊外に展示されている模型で、当時の大きさを想像することができます。またヨセフス・フラビウスの『ユダヤ古代誌』15巻380〜425には、神殿を建築する際の様子が詳しく記されています。「ヘロデ王がこの神殿を造るのに、石材を運ぶため車1000台、もっとも熟練した1万人の職人、祭司の服を1000名分購入、神殿内は白亜の大理石。両側の回廊の大きさは前代未聞で、柱の総数は162本あり、柱頭はコリント様式の彫刻が飾られ、多くの人はその華麗さに目を奪われた」と。みことばの中に「見事な石と奉納物で飾られ」「これらのものに見とれている」と描写されているように、壮大な神殿を見てだれもが圧倒され、うっとりしたことが理解できるでしょう。
しかし、こうした立派な神殿もやがて崩壊することをイエスは語ります。戦争、暴動、地震、飢饉、疫病など、具体的な恐ろしい内容を語ります。例えば、当時の人びとにとって地震は神の罰の手段(イザ29・6、エゼ38・19)、飢饉は神の罰(アモ8・11、イザ14・30、51・19、エゼ36・29〜 30)とされていました。どんな立派なものでも崩壊し、どんなに栄華を極めても、世の終わりがきて、必ず滅びることを示唆します。
種々の脅威にたいして、「おびえてはならない」(ルカ21・9)というイエスのことばは力強いものです。さらに「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである」(ルカ21・15)とも言います。迫害などによって苦しむ人びとへの力強いことばであるとともに、忍耐強く歩む秘訣を与えてくれるのではないでしょうか。「言葉」というと、ヨハネ福音書に出てくる「ロゴス」(1章)、聖母マリアがお告げを受けた時の「レーマ」(ルカ1・38)を考えますが、ここでは「ストマ」という用語が使われています。これは「口、言葉、証言」を意味し、「神の口(ストマ)から出る一つ一つの言葉は」(マタイ4・4)といった使い方があります。
混迷する社会にあって、神の支えが響いてきます。
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