山内堅治神父のみことばの響き
助けてください
〈年間第19主日〉マタイ14・22~33
マタイ福音書が書かれた時代は、紀元85年頃だと言われます。紀元64年にはローマの町でネロ皇帝によるキリスト教徒迫害が始まり、たくさんのキリスト者たちが殉教していきました。そんな状況を耳にしながら、マタイ福音記者もこの箇所を書いたのでしょう。「逆風のために波に悩まされて」、「恐怖のあまり叫び声をあげた」といった言葉は、困難や迫害に苦しむキリスト者たちの叫びが聞こえそうです。こうしたネロ皇帝による迫害の嵐にキリスト者たちが悩んでいく、キリスト者であるがゆえに、いつ殺されるか分からない恐怖心、迫害の厳しさのあまり、信仰を捨てて沈みかけている人たち…。キリスト者のだれもが「沈みかける」「助けてください」と叫んだことでしょう。
日本の教会も、1612年に徳川家康がキリシタン禁教令を天領に発令して江戸の教会を破壊し、島原半島の有馬でも迫害が始まりました。この頃、日本人の信徒数は約22万人と言われ、1614年2月1日には徳川家康が全国にキリシタン禁教令を発令していきます。京都や長崎の教会が破壊されていく中で、信徒たちはどんな気持ちで信仰を保っていったのでしょうか。迫害はさらに厳しくなり、1619年10月には京都の大殉教、1623年12月には江戸の大殉教、さらに長崎、雲仙などが続いていきます。1639年にはペトロ岐部が殉教し、1644年には最後の潜伏司祭、小西マンシヨ神父が殉教していきました。司祭がだれもいない時代の中で、信徒たちは互いに助け合いながら迫害の嵐を乗り切ったことでしょう。1871年、キリシタンに対する取り締まりの高札が撤去されるまで、迫害に対する恐ろしさを彼らもまた痛感しました。
マタイ福音書が書かれた時代と日本のキリシタン時代を重ねて見ていくと、今日のみことばに出てくる「助けてください」はとても響いてきます。
心から願う
〈年間第20主日〉マタイ15・21~28
ティルスやシドンは異邦人の世界です。そこはイエスを受け入れる環境ではありませんでした。ところが異邦人であるカナンの女が、イエスに願い出ていきます。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と。しかも自分自身の病気のためではなく、自分の娘が悪霊にひどく苦しめられているので、それを癒してほしいと…。娘はいったいどんな症状だったのでしょうか。民族が違う状況にあっても、イエスに願うほどですから、相当、重い症状だったのでしょう。異邦人とは言え、イエスなら必ず聞き入れてくださるという熱い思いが彼女にはありました。本来、「主よ、ダビデの子」という言い方はユダヤ人が使う表現ですが、異邦人の彼女はあえてこの表現を使います。
この女性の願い方はとても印象的です。自分の民族、立場を超えて、最初に「わたしを憐れんでください」と叫びます。イエスは何も応答しないで、無視しているかのように見えます。それでも彼女は何とかしてほしいという思いがあったのでしょう、今度はイエスの前にひれ伏して「主よ、どうかお助けください」と言います。「ひれ伏して」願うのは、自分が謙虚になり、心から願いたい気持ちがよく現れています。例えば、イエスの誕生において占星術の学者たちがイエスのもとにやってきます。彼らは東方で見た星に導かれ、幼子の所へやってきました。幼子イエスと母マリアがいる場所に来ると、学者たちは「ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として」捧げます。彼らが幼子の前でひれ伏したのと全く同じような光景です。自分自身を捨てて、主に委ねる心が含まれています。
私たちが何か主に願う時、このような必死な気持ちを持っているでしょうか。このカナンの女のように、心からの叫びを主に願ってみましょう。
岩の上の教会
〈年間第21主日〉マタイ16・13~20
イエスがペトロに対して、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と語ります。こうして堅固な岩の上に教会が建てられていきますが、その歩みは決して平坦なものではありませんでした。歴史を振り返ってみると、それがよく分かります。
初代教会において、キリスト者たちに対する迫害により、数多くのキリスト者たちが殉教していきました。例えば、カルタゴの司教チプリアヌスなどを上げることができます。4世紀になると、ディオクレチアヌス帝が各地の教会を破壊していきます。313年にコンスタンチヌス帝が「ミラノ勅令」を発布し、帝国と教会との関わりが改善されるようになり、4世紀後半にはキリスト教が国教にもなっていきました。しかし、その一方ではグノーシス派、アリウス派、ネストリウス派などの異端に悩まされていきます。
10世紀前後になると、教皇庁をローマ貴族たちが私物化する動きや、さらには聖職売買(シモニア)の問題も横行するようになりました。こうして教会の刷新が求められていきます。聖ドミニコやアシジの聖フランシスコは、教会を建て直した聖人と言えるでしょう。
16世紀になると、ドイツを中心にして宗教改革が起こります。典礼がラテン語に代わってドイツ語で行われるようになり、さらに聖書がドイツ語に翻訳されました。その宗教改革はスイス、イギリスへと広がっていきます。教会が揺れていく中でトレント公会議が開催されます。1789年にはフランス革命が起こり、教会の力が失せていきました。カトリック教会の力を取り戻すために、第一バチカン公会議(1869年~1870年)が開催されます。さらにその100年後にはヨハネ23世の招集によって第二バチカン公会議(1962年~1965年)が開催されました。典礼の改革、信教の自由、エキュメニズム、諸宗教との対話など、教会の新しい動きが出てきました。今は司祭・修道者の召命不足に悩む時代です。
いつの時代でも、種々の困難を抱えて歩んでいる教会ですが、主の導きのもとにしっかりと建ち続けています。それは教会が岩の上に建てられていることの証でしょう。
自分の十字架を背負う
〈年間第22主日〉マタイ16・21~27
今日の箇所の直前で、ペトロは立派な信仰告白をしたにもかかわらず、イエスが「長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」ことを話すと、ペトロはイエスをいさめ始めます。「いさめる」はギリシア語で「エピティマオー」が使われ、「叱る」「叱責する」「非難する」という意味です。弟子のペトロがイエスに「叱る」わけですから、私たちにはちょっと考えられない雰囲気です。イエスはペトロに「サタン、引き下がれ」と厳しく語ります。ペトロは他の誰よりもきつい表現で、イエスからお叱りを受けたのではないでしょうか。イエスは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と続けます。
2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。この大震災によって多くのことを考えさせられました。私はその大震災の時、東京にいて、とても怖い思いをしました。東京で震度5強でしたら、震源地に近い仙台などはもっともっと怖かったことでしょう。大震災から3か月たったある日、仙台、気仙沼、塩釜、石巻を訪問しました。特に気仙沼と石巻はガレキの撤去作業がまだ続いていて、復興までには相当の時間がかかるだろうなあと思いました。
地震だけでなく、津波、そして原子力発電による放射能の問題。いろいろな要素が重なっていて、とても複雑です。そうした中、石巻に「がんばろう石巻」という大きな看板がかけられていました。たくさんの苦しみを担っているけれど、それにあきらめることなく前向きに生きようとする雰囲気を感じました。日本の社会の中ではキリスト者は数少ないのですが、自分の十字架を背負い、困難の中にあっても前向きに生きる忍耐強い人たちが多いなあと感じました。
HOME
HOME
バックナンバーへ