山内堅治神父のみことばの響き
ノアの箱船
〈待降節第1主日〉マタイ24・37〜44
初めて訪れる観光地を旅する時、『地球の歩き方』というシリーズ本はとても便利です。観光地のガイドだけでなく、列車やバスの乗り場、おいしいレストラン、割安な宿など、種々の情報が満載されています。このシリーズの「イタリア」編を使って、シチリアのモンレアーレを訪ねたことがあります。ローマからカターニアまで列車に乗り、そこからバスでパレルモへ。パレルモのPiazza XIII Vittime (広場)から9番のバスに乗り、モンレアーレへ。標高310メートル、パレルモからは約8キロの道のり。ガイドブックを頼りに、バスは無事にモンレアーレのカテドラル前に到着。まず驚いたのは、カテドラルの壮大さ。さらに教会の中に入ると、正面、側面に旧約聖書や新約聖書の物語がモザイクで描かれ、その美しさには時を忘れるほど。モザイクをのんびりと眺めていると、聖書の内容がよく学べるように描かれています。その中でもひときわ感動したのは、「ノアの箱船」の場面。緻密に、しかも鮮やかに…。
さて今日の箇所で「ノアの箱船」の話が登場します。ノアは初代教会においては、信者たちの信仰の模範とされていました(ヘブ11・7)。福音のたとえを通して、箱船に入ったノアのような選ばれた者、取り残されて滅亡に至る者。イエスはそんなノアの箱船の物語を語りながら「目を覚ましていなさい」と言います。
今日から待降節に入ります。身近にある聖書にちなんだ種々の作品を目にしながら、主の降誕に向けてのよりよい準備に励んでみましょう。
喜びの便り
〈待降節第3主日〉マタイ11・2〜11
「福音」のことをギリシア語で「エヴァンゲリオン」と言います。もともと、勝利の吉報を告げ知らせる「よい知らせ、よい便り」を意味しています。例えば旧約聖書の中でバビロン捕囚から解放され、神の国が到来する喜びを語ることばは、このことをよく表しています。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声をあげ、皆共に、喜び歌う」(イザヤ52・7〜8)と。補囚からの解放の喜びがよく伝わってきます。
今日の福音書の中ではどうでしょうか。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、…貧しい人は福音を告げ知らされている。」(マタイ11・5)とイエスは語ります。この喜びは突如として登場するのではありません。「重い皮膚病を患っている人」の癒し(マタイ8・1〜4)、「中風で寝込む百人隊長の僕」の癒し(8・5〜13)、「二人の盲人」の癒し(9・27〜31)、「口の利けない人」の癒し(9・32〜34)など、マタイ11章5節のリストは、マタイ8章から9章の中に、具体的な形で示されています。「よい知らせ、よい便り」の準備とも言える内容ではないでしょうか。
そんな中、当時の人々はイエスに政治的解放者を期待していました。しかし、イエスは苦しむ「しもべ」(イザヤ42・1〜4、52・13〜53・12)であることを示します。だからこそ「わたしにつまずかない人は幸いである」(マタイ11・6)と語っていきます。「つまずく」は「スキャンダリゾー」が使われ、「スキャンダル」「ゴシップ」「よくないうわさ」を連想しがちですが、もともとは「罪に誘惑する」「信仰を拒む」の意味が込められています。
日々の歩みの中で私たちにどんな喜びがもたらされているか、この機会に静かに振り返ってみたいものです。
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