みことばの響き

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山内堅治神父のみことばの響き

心温まるプレゼント

〈主の公現〉マタイ2・1〜12


2008年1月号1.jpg イエスの誕生にあたり、学者たちは幼子イエスに黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげます。その当時、これらのものはとても高価なものであり、生まれたばかりのイエスにとっては心温まるプレゼントになったでしょう。異邦人の学者たちがこうしたプレゼントを行うところに、救いの広がりを感じます。

 私が小学二年生の時、当時の主任司祭はたくさんの子どもたちを集めて、ミサの奉仕者をさせることがとても好きでした。その当時、八人くらいの子どもたちが奉仕していたのを記憶しています。年長者の二人が司祭の両側につき、他の六人は小さなキャンドル持ちの奉仕。年少者の私は、キャンドル持ちでしたが、その奉仕だけでも魅力あるものでした。時にはいたずらをしたことも…。小さなキャンドルはロウが溶けやすく、ミサ中であることを忘れ、隣の友達とどれくらいの時間、ロウがこぼれないかを競ったことも…。

2008年1月号2.jpg ある年のクリスマスのこと。その年は例年になく冬になるのが早く、クリスマスには雪が降りそうな寒さでした。クリスマス夜半のミサ後、主任司祭がミサの奉仕をしている子どもたちをみんな集めて、一人ひとりにプレゼントを手渡してくれました。みんな興味津々、何が入っているのだろうかと袋を開けると、そこには一足のサンダル。神父様は子どもたちの顔を見ながら、「この教会は木造やけん、冬でもすきま風がよう入るやろ。おまけに床は板張りで冬はひどー寒かやろ。裸足のままやったらみんな風邪をひいてしまうけん、これからはミサ中にこのサンダルば履かんね」と。今の豊かな時代からするとささやかなプレゼントのように思えますが、私にはそれが宝物のように思えました。一足のサンダルを通して、主任司祭のぬくもりを感じました。

 クリスマスシーズンの締めくくりとして、学者たちが贈り物をします。いわば神様への心温まるプレゼントです。私たちは神様にどんなプレゼントしているでしょうか。また逆に、神様からどんな心温まるプレゼントをいただいているでしょうか。この機会に両方向からプレゼントの内容を考えてみましょう。


神の小羊

〈年間第2主日〉ヨハネ1・29〜34


2008年1月号3.jpg 普通、人の名前を呼ぶ時どんな呼び方をするでしょうか。名字で、名前で、ニックネームで…。いろいろな呼び方があります。今日のみことばで、洗礼者ヨハネはイエスを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」というように、「神の小羊」と呼んでいます。

 聖書の中にはいろいろな動物が登場しますが、その中でも「羊」は約500回くらい登場します。イスラエルの人々にとってはとても馴染み深く、生活に欠かせない動物で、しかも従順で忍耐強い動物と考えられていました。確かに真冬にアイルランドで羊を見た時、厳しい風雨の中にあってもじっと耐えている姿を眼にして、まさにそうだなあと実感したことがあります。こうした我慢強いことからも、「羊」は民の罪を贖う「主のしもべ」として使われたり、過越の記念としても用いられたりします。「神の小羊」という呼び方は、イエス・キリストが神の子として過越の神秘を生きる使命を示しています。

2008年1月号4.jpg 羊に関連して、旧約聖書を振り返ってみましょう。かつてイスラエルの民がエジプト人の圧迫にあっていた時、神は戸口に「傷のない一歳の雄の小羊」(出12・5)を一頭ずつほふり、夜それを食べてその血を家の戸口の柱と鴨居に塗るように命じます。このしるしによって、イスラエルの民は滅びの手から逃れることができます。救いの源泉は小羊の血でした。

 また「神の小羊」は民の罪を贖うために「ほふり場に引かれていく羊」(エレ11・19)、「ほふり場にひかれる小羊のように、毛を刈る人の前で物を言わない羊のように、口を開かなかった」(イザ53・7)とも描かれています。苦しむ姿、我慢強い姿を垣間見ることができます。

 このように旧約聖書において、羊は贖いのしるしでしたが、新約において、キリストご自身が人々の救いのために命をささげます。動物の血ではなく、十字架の死を通してキリストご自身の血。このことを踏まえると、洗礼者ヨハネがイエスに対して語る「世の罪を取り除く神の小羊」が明らかになってきます。

 毎日、ミサ中の祭壇上でキリストご自身のいけにえが再現されています。「神の小羊」が語られる時、私たち一人ひとりへの救いの恵みが伝わってきます。