みことばの響き

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山内堅治神父のみことばの響き

貧しさ

〈年間第4主日〉マタイ5・1〜12a


1.jpg「山上の垂訓」の朗読箇所 この箇所のタイトルとして、フランシスコ会訳注には「山上の垂訓」と記されています。その表現が脳裏にあったため、この山は丹沢や奥多摩のような、あるいはシナイ山のような高い山だろうと思っていました。ガリラヤ湖の北にある山上の垂訓にゆかりの深いその場所へ行ってみると、とても低い山で期待はずれした記憶があります。山というよりも丘と言ったほうが適切ではないかと。

 今日の箇所は、「イエスはこの群衆を見て、山に登られた」から始まります。実際には丘のような所でしょうが、わざわざ「山」と付けるところに訳がありそうです。旧約聖書に登場するモーセとの関連で見ていくと、彼が律法を与えられる場所はシナイ山でした。またマタイ28・16では使徒たちへの派遣が山で行われます。このように、山には聖なるイメージが込められています。

2.jpg山上の垂訓教会 そんな場所で「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」とイエスは語ります。「心の貧しい人々」という表現に耳慣れしていますが、実際の内容からしてフランシスコ会訳注の「自分の貧しさを知る人は幸い」の方がもっと心に響いてきます。自分の不足、貧しさを振り返りながら神に信頼していく。分冊の注には「人を幸福にするものは、自分の力で手に入れられるこの世の富ではなく、祈りによって神から与えられる恵みだけである」と記されています。

 貧しさとはどんなものでしょうか。その日の食べ物がない、飲む物がないというのも貧しさです。それよりももっと深い貧しさがありそうです。マザー・テレサのことばが印象的です。「人間にとって辛いこと、寂しいことは、お金がないこと、物を持っていないことではありません。自分がこの世界で必要とされないと感じることです。」戦争直後からすると、日本はとても豊かになり、世界的にも長寿国になりました。ところが、心の面で飢え渇いている人が多いのではないでしょうか。それを思うと、イエスが語る「幸い」のメッセージは、今の日本に必要なものでしょう。


一人ひとりの変革

〈四旬節第2主日〉マタイ17・1〜9


3.jpgタボル山にある教会 この箇所は主の変容の場面です。変容の場としては、タボル山(562m)やヘルモン山が挙げられますが、紀元4世紀頃からタボル山が変容の山として大切にされるようになりました。山の頂上にはフランシスコ会の修道院と教会があり、4年前に訪れた時にはフランス人のジェラルド神父様が主任司祭を務めていました。聖地に約25年間奉仕し、とても物腰が柔らかく、話しているだけでほっとするようなそんな司祭でした。静寂な教会の中には変容にちなんだ種々のモザイク、絵などが描かれています。

6.jpgジェラルド神父 さて変容にスポットを当ててみると、イエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなります。何とも神々しいイメージで描写されています。この情景描写がよく似ているのはダニエル書10章です。そこには「目を上げて眺めると、見よ、一人の人が麻の衣を着、純金の帯を腰に締めて立っていた。体は宝石のようで、顔は稲妻のよう、目は松明の炎のようで、腕と足は磨かれた青銅のよう、話す声は大群衆の声のようであった。」(ダニ10・5〜6)こうした描写を通して、旧約聖書とのつながり、神の啓示の在り方をよく味わうことができます。

 また主の変容と関連するのはイエスの復活の場面です。「その姿は稲妻のように輝き、その衣は雪のように白かった」(マタイ28・2〜4)と、イエスの栄光の姿が描写されています。さらに主の変容は、私たち一人ひとりの変容、変化ともつながるものです。

5.jpgダボル山 タボル山でお会いしたジェラルド神父さんの言葉がとても印象に残っています。「イラクをはじめ、聖地も今は最悪の状況にあります。日本の皆さんはテロリズムの脅威とか、広島や長崎に原爆が投下されて戦争がどれだけ悲惨なものか、また戦争がもたらす悲劇などについてよくご存じでしょう。そういう体験を持っているからこそ、平和のために祈って欲しいです。平和を考えていく上で、日本は世界中からとても期待されています。」こうしたことをも心に留めながら、私たちも日々変わっていきたいものです。