みことばの響き

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山内堅治神父のみことばの響き

派遣

〈主の昇天〉マタイ28・16~20

 
1.jpgアルメイダ修道士(堂崎天主堂) イエスが天に昇ることは、弟子たちが独り立ちしていく時です。それまでイエスがいつも行動を共にしていたので、彼らにとってはとても安心でした。彼らにとってイエスとの別れはどんなに寂しいことだったでしょうか。そんな彼らにイエスは聖霊を約束します(使徒1・8)。同時に「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)と、語りかけます。

 「すべての民をわたしの弟子にすること」は決して容易ではありません。これまでにもたくさんの宣教師たちが日本に派遣されましたが、実りを得た時もあれば、挫折した時もあります。

2.jpg西洋医術発祥記念像(大分市) かつてフランシスコ・ザビエルが来日し、宣教した後、アルメイダが日本で活躍します。ポルトガル出身の彼は最初、貿易商人として27歳の時に来日し、平戸や大分などで商売をします。やがて修道士の召命を感じ、30歳の時にイエズス会の修道士となります。彼は平戸、五島、長崎、島原、大分などで活躍し、宣教とともに外科医の資格を持っていましたので、病院などを建て、晩年は司祭となって天草で生涯を閉じています。五島の堂崎天主堂や大分市内を訪れると、彼にちなんだレリーフが建てられています。例えば、大分市内には「西洋医術発祥記念像」と称して、「1557年には、この地に早くも日本最初の洋式病院が建ち、ポルトガルの青年医師アルメイダによって内科はもとより、日本最初の洋式外科手術が盛んに行なわれた。病院には外来のほか入院の設備もあって、1562年には入院患者が百人を超えていた」と記されています。確かに西洋医術のために貢献しましたが、それ以上に貧しい人、治療代を払えない人のためにも手を差し伸べ、多くの人びとのために働きました。報酬を求めずひたすら働く彼の姿に多くの人が感銘を受け、「なぜアルメイダは外国からやってきて、異国の私たちのために喜んで働いてくれるのだろうか」と。こうして数多くの人びとが洗礼へと導かれていきます。

 私たちもいろいろな場に派遣されています。自分の利益を求めない、純朴な宣教を今日のみことばから考えてみましょう。
 

 
 

 

惜しみなく与える

〈三位一体の主日〉ヨハネ3・16~18

 
3.jpg 「ヨハネによる福音書」には「世(コスモス)」という語がよく用いられ、『新約聖書』での185回中、「ヨハネによる福音書」には78回、「ヨハネの手紙」には25回登場します。ヨハネにとって「世」という語は極めて重要な言葉です。「世」というと、私たちは住んでいる世界全体のことを想像しますが、「ヨハネによる福音書」では、神あるいはイエスに対立したり、反抗したりする世界や勢力を意味しています。この「世」はイエスを知らず(ヨハネ1・10)、憎み(7・7)、拒みますが(14・22)、イエスは逆に、この「世」のために祈ります(17・21、25)。聖書において、この「世」の具体的な人物としてはファリサイ派、律法学者、大祭司を挙げることができるでしょう。

 こうした「世」にあって、神は独り子をお与えになります。それほどまでに神は世を愛されました。本来なら拒み、敵対する世でしょうから、独り子を与える必要はなかったかもしれませんが、私たちへの愛のために与えていきます。「独り子をお与えになる」の「与える」は原文では「ディドミ」が使われ、イエスを十字架のために「引き渡す(パラディドミ)」と関連しています。神は私たちのために最愛の御子キリストを与えてくださいますが、それは私たちがイエスを十字架に引き渡していくこととも関連しています。

 (参考までに)今日の第一朗読には、モーセとの関連で主である神、父である神のことが描かれています。「憐み深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ちた者」。モーセ自身、砂漠で民を導いていきますが、大きな苦難、人びとの不平不満を数多く体験しました。人一倍に悩んだモーセでしたが、そんなモーセを父である神は見守っていきます。
 モーセの場合でもそうですが、神が独り子をお与えになることは、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」(ヨハネ3・16)です。

 私たちのために惜しみなく与えてくださる神の愛が、とても心に響いてきます。