山内堅治神父のみことばの響き
祈りかつ働け
〈年間第18主日〉マタイ14・13~21
今日の箇所の前では、洗礼者ヨハネが首をはねられて殉教し、ヨハネの弟子たちによって埋葬された内容が描かれています。イエスにとって彼は、幼い時から知っているだけに悲しみもひとしおだったでしょう。こうした出来事を耳にしたイエスは、人里離れた所へ退かれます。イエスが静かな時間を取るのは、洗礼者ヨハネが亡くなったことへの悲しみと同時に、ヨハネの勇気を思いながら、やがて訪れるご自身の十字架上での死のことを黙想したのかもしれません。しかも人里離れた所で…。
ベネディクト会の言葉に「ora et labora(祈りかつ働け)」というのがあります。活動だけではなく、その基盤に祈りがあることです。イエスは人を癒したり、時にはファリサイ派の人々と論争したりなど、活動家のように感じますが、現実にはいつも祈りが基盤になっています。イエスは静かな時間を過ごされた後、大勢の群衆を憐れまれたり、病人を癒したりします。5つのパンと2匹の魚を取り、神に賛美の祈りをささげ、大勢の人々に与えます。男だけでも5千人ほどいるのに、5つのパンと2匹の魚だけでは不十分だと不平をいいそうですが、イエスはかえって賛美の祈りをささげているのがとても印象的です。
こうした不思議な出来事と同時に、多くの人々がイエスのもとに押し寄せてくる状況において、イエスは彼らを見て「深く憐れみ」ます。「深く憐れむ」は、ギリシア語で「スプランクニゾマイ」が使われ、もともとは「腸(はらわた)」を意味しています。先日、ミイラの作り方の番組があり、どうやって作るのかと好奇心のまなざしで見ていました。すると腸をまず取り出し、そこに防腐剤を詰める。人間の臓器の中でも腸がいちばん腐りやすいので、それを取り出すとの説明でした。つまり、人間にとって腸は一番弱い部分と言えます。弱い所であるからこそ、そこに心を留めるということで、昔の人は腸から「憐れみ」という言葉を生み出したのでしょう。
疲れ果てても「深く憐れむ」イエスの姿の根底には、日々の祈りやゆとりが感じられます。
根気強く
〈年間第20主日〉マタイ15・21~28
アンティオキア 今日の箇所に登場するティルスやシドンは、フェニキアの重要な都市でした。メソポタミアとエジプトの中間に位置したためか、大国の争奪のもとにもなっていた地域です。この地に生まれたカナンの女性が登場しますが、昔から異教の神々を信じていたこともあり、ユダヤの人々からは軽蔑されていました。
そんな彼女がイエスに、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫びます。自分の娘の治癒を考えれば、彼女にとっては必死な願いでした。さらに彼女はイエスの前にひれ伏して、「主よ、どうか助けてください」と願い続けます。素朴で、心からの願いを感じたイエスは、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」と語ります。根気強く願っていけば必ず実現することを物語る箇所ではないでしょうか。
6年前、パウロの足跡を尋ねてトルコを巡礼したことがあります。かつてパウロが宣教した地域ですが、今ではイスラムの世界に変わっています。
トルコのアンティオキアを訪ねた時のこと。パウロが宣教の拠点にした町ですが、現在でも町としては大きなものです。パウロも宣教のために力を入れた町でしょうが、現在では小さな教会が建ち、ミラノから来た信徒宣教者会の方が司牧に携わっていました。彼らに信徒数を尋ねてみると「10人かなあ」と答えてくれました。かつてパウロや後代の人によってたくさんの人々が洗礼へと導かれ、教会もたくさん建てられたのでしょうが、現在は一つだけ。その後、アダナの町へ。この町にはカプチン会の神父さんが51年にわたって宣教していました。現在、信徒数は100名程度で、「日々宣教している割には成果はなかなか上がらない」と言っていました。それでも根気強く働いていたのが印象的です。さらにはコンヤ(イコニウム)を訪問。ここではイタリアのトレントからやって信徒宣教者2名が司牧にあたっていました。信徒数は10名程度とのことで、時々、首都のアンカラやイズミールから司教さんや司祭たちがやってくるとのこと。
こうした話を彼らから聞きながら、イスラムの世界での宣教の厳しさをひしひしと感じるとともに、それでも宣教のために日夜生き生きと働いている人たちの姿がとても心に残っています。
今日のみことばに出てくるカナンの女は救いの立場からすると、遠い存在かもしれません。それでもイエスが「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」と語りかける言葉の中に、救いが多くの人に向けられ、そのために根気強く働いている人たちがいることを思います。
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