みことばの響き

HOME > コラム > みことばの響き > バックナンバー > 惜しみなく与える/税金

山内堅治神父のみことばの響き

惜しみなく与える

〈年間第27主日〉マタイ21・33~43

 
1.jpgアルベリオーネ神父とマルチェリーノ神父たち 今日のぶどう園のたとえにおいて、主人はいろいろな人たちを派遣していきます。まず僕たち。次に他の僕たち。最後に自分の息子を送ります。

 最初に派遣された僕たちとは、旧約の預言者たち。例えばイザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどを示唆するでしょう。次に他の僕たちが派遣されますが、具体的には洗礼者ヨハネなどを示唆するでしょうが、彼は斬首刑によって殉教していきます。最後に自分の息子とは、最愛のイエス・キリスト。神はイエスを惜しみなく派遣してくださいましたが、人々はイエスを十字架につけることによって殺してしまいます。惜しみなく与える愛の素晴らしさが見えてくるのではないでしょうか。

 1917年、聖パウロ修道会の創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父の手によって4人の青年が修道誓願を宣立する時、アルベリオーネ神父は彼らに次のように語ります。「ここにいるのは4人だけだ。5人目は、この同じ時刻に、たった一人、ノヴァラで自分を神にささげている。まだ兵役中だからだ。しかし、モンマルトルで聖イグナチオの手のうちに誓願を立てた最初のイエズス会会員もたった4人だった。だから今日は歴史に残る日である」と(ステファノ・ラメラ著、大滝玲子訳『今世紀の一大驚異』39ページ参照)。

2.jpg創立者アルバリオーネ神父と日本地図 数多くの宣教師たちが日本に派遣されてきましたし、今も派遣されています。どれほど多くの恵みを日本の教会はいただいていることでしょうか。聖パウロ修道会の場合も同様で、1934年12月、パウロ・マルチェリーノ神父とベルテロ神父の二人が日本に派遣されました。特にマルチェリーノ神父は、1914年に聖パウロ修道会が創立されて二年後に入会した人で、最初の4人のうちの一人でした。創立者にしてみれば、数少ない人材を日本に派遣するのはどれほど大きな犠牲が必要だったかと思いますが、それを覚悟の上で派遣していきます。惜しみなく与える姿勢をよく示してくれるのではないでしょうか。

 またイエズス会の場合でも創立当初、最初の仲間の4人の中に聖フランシスコ・ザビエルがいました。ロヨラにとっては大切な人材であったのでしょうが、教会の状況や神様のご意志を思い、彼は惜しみなくザビエルを東洋に派遣します。本来なら、優秀な人材を自分のもとに残しておきたいところでしょうが、それを覚悟の上で派遣するところに、惜しみなく与える模範が見えてくるのではないでしょうか。

 ある方がこんな話をしていました。「自分たちにとって大事だと思われる人を神様のために惜しみなく与えると、5倍の召命をいただく」と。
私たちはいろんな面で計算してしまいますが、神様のために惜しみなく与えていくと、人知を超えたはるかな恵みが数多く与えられることを今日のみことばから教えられます。
 

 
 

 

税金

〈年間第29主日〉マタイ22・15~21

 
3.jpgエルサレム嘆きの壁 1990年の頃、消費税が導入されるようになり、3%の負担が始まります。この時、多くの人が消費税導入に反対しました。自分の生活を直撃しますので、賛同しかねることは当然です。しかし、高齢化社会のことや将来の医療費などを見据えてのことなど、種々の理由でいたしかたないとの判断で導入されることになりました。それから5~6年して消費税が5%に上がります。今度は国の財政が逼迫(ひっぱく)しているので、消費税を上げるというのが大きな理由でした。この時も多くの人が反対しましたが、国会で通過していきました。近い将来、消費税が5%からさらに7%か10%にアップされる可能性も、ニュースなどで報じられています。

 こうした税金はいつから導入されるようになったのでしょうか。紀元前1200年のモーセの時代には税というものは負担していませんでした。紀元前1000年の頃になると、農産物、家畜、収穫の10%が税金として取られるようになります(一サム8・15~17)。具体的にはこんなことばがあります。「あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える」(一サム8・15)。これと並行して人口調査が行われるようになりますが、それは税金を取り立てるための一つの方策でした。
 ローマ時代(イエスの時代)になると、徴税はローマ皇帝によって任命された役人によって行われるようになります。ユダヤの人々は、国内の税金とともに、ローマ皇帝の支配下にあったので、二重の税金を取られることになります。その意味でもユダヤ人にとって、税金の取り立ては他のどの民族よりも敏感であったかが分かります。

 そんな背景を念頭に置きながら、今日の福音を読んでいくと分かりやすいかもしれません。福音の中で、ファリサイ派の人が税金をめぐって「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」(マタイ22・17)と、イエスの言葉じりをとらえてワナにかけようとしています。「税金を納めなくてよい」とイエスが語れば、ローマ皇帝への反逆罪として捕らえられることになります。「税金を納める」と語れば、民衆の反感を買うことになるし、民衆からの人気だって薄れることになります。

 そんな中でイエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と語っていきます。一つの立派な解決策でした。どちらにも文句のつけようのない表現です。

 日本で消費税がさらにアップされるかもしれませんが、イエスが「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」といったような賢明な回答が見つかるでしょうか。