澤田豊成神父のそよかぜカレンダー
世界広報の日
(一コリント9・19-23)
世界広報の日は、典礼暦上の祝日ではありませんが、第二バチカン公会議の中で定められ、1967年以降、毎年実施されています。「広報機関による教会の多種多様な使徒職がいっそう強化されるために、全世界のすべての教区において、司教の判断によって毎年一度『広報の日』が設定されることが望ましい。その日、信者はこの分野における各自の義務について教えられ、この種の使徒職のために祈り、これを援助するために募金するよう勧められる」(「広報機関に関する教令」18)。このようにして定められた世界広報の日は、通常、復活節第六主日(今年は5月17日)に実施されます(ただし、司教団はそれぞれの事情によって別の日に移すこともできます)。毎年、テーマが定められ、そのテーマに基づく教皇メッセージが発表されます。今年のテーマは、「新たな技術、新たな関係 尊敬、対話、友情に基づく文化の促進」です。
教会は、メディアを神からの恵みと人間の努力の結晶として受け止めています。そして、これが福音の告知と人間の救いのために用いられたときのすばらしさを認めています。しかし、メディアは、その力の大きさゆえに、人間の救いに反して用いられるとき、計り知れない害悪をもたらします。メディアの重要性と影響力の大きさを意識した教会は、第二バチカン公会議で、この分野に固有の文書、「広報機関に関する教令」を発表しました(1963年)。
それ以後、40年あまりの時が流れました。この期間、メディアは急速な発展を遂げ、社会におけるその重要性はますます大きくなってきました。これに合わせて、教会もこの分野に関する公文書をいくつか発表しました。「広報」と訳されている言葉は、原語を直訳すると、「社会的コミュニケーション」となります。第二バチカン公会議の時代に、それは「出版、映画、ラジオ、テレビおよびこれに類するもの」(「広報機関に関する教令」1)のことでした。個々人の間のコミュニケーションと異なり、大衆や社会に発するコミュニケーションという意味で、「社会的コミュニケーション」と呼んでいたのです。
ところが、技術の急速な発展と端末の各家庭・個人への浸透、回線や電波をとおしてのインターネット網の構築、デジタル化によるメディアの融合などにより、状況は一変しました。1960年代の街頭テレビの時代から比べて、テレビは各家庭に普及し、パソコン・携帯電話の端末などでテレビを視聴することができるようになりました。デジタル化をとおして文字、映像、音声などあらゆるものが共通の記号として通信できるようになり、例えば携帯電話の端末で電話、カメラ、ラジオ、テレビ、パソコンなどの機能を網羅することができるようになりました。そして、インターネット網の実現により、もはや個々人の間のコミュニケーションと社会的コミュニケーションの区分はなくなりつつあります。ブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、セカンドライフなどの参加型コミュニケーションでは、一人の人が受け手となったり、送り手となったり、傍観者となったりします。送り手と受け手が明確に区別されるコミュニケーションの形態は、過去のものとなりつつあります。メディアは今や、内容を伝達する手段というよりは、複雑に錯綜するコミュニケーションの「場」(広場やサロンといった意味)と化しています。
今年の教皇メッセージは、このような変化を踏まえたうえで、新しい技術がもたらした新しい人間関係の可能性とその問題点を考察しています。教皇は、新しい技術によって新しい人間関係が生まれたことを率直に喜んでいます。しかし、それは新しい技術が新しい人間関係を生み出したというよりは、むしろ人間に本来備わっている「自分を超えて、他者とかかわりを結びたい」との本性が、新しい技術によって、新しい人間関係を生み出したのだと指摘します。人間は、三位一体という、コミュニケーションと交わりの神に似せて造られた者であり、本質的に他者とのかかわりを築くことを欲しているのです。しかし、それだからこそ、この新しいかかわりも、三位一体の神の内的かかわりを映し出すものとしてはぐくんでいく必要があります。それは、表面的ではない、深い愛の関係であり、尊敬、対話、友情に基づく文化です。
教皇は、メッセージの終わりに、デジタル技術を使いこなす若い世代に向かって呼びかけ、コミュニケーションのこの新しい場を新たな福音宣教の場とするよう招いています。パレスチナからその歩みを始めた初代教会は、ギリシア・ローマ世界の中で福音を告げ知らせていきました。福音が彼らの心に響くように、初代教会はギリシア・ローマ世界の文化や慣習に心を配りました。今、新しいコミュニケーション文化の中で、教会はこの文化の特徴とそこで行動する人々の思いに心を配りつつ、福音を分かち合うよう招かれています。教皇は、若者たちがその主役となるよう訴えているのです。
さて、初代教会の中で、パレスチナとは異なるギリシア・ローマ世界に福音を告げ知らせていった人々の代表格は、パウロと言えるでしょう。パウロは、いつの時代にあっても福音宣教者の模範です。パウロは、コリントのキリスト者に書いています。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」(一コリント9・19)。コリントの町は交易の盛んな港湾都市でした。そこには、多くの奴隷労働者たちがいたようです。そこで、パウロは奴隷となり、労働をしながら宣教をしました。コリントでは、多くの奴隷がキリスト者となったようです。しかし、それだけではありません。「〔わたしは〕ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです」(9・20)。パウロが同じ状況に身を置いた人のリストはさらに続きます。律法に支配されている人、律法を持たない人、弱い人。そして、最後に総括します。「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」(9・22)。パウロは、すべての人に向かって福音を告げ知らせていきます。しかし、この「すべての人」とは、それぞれが異なる一人ひとりの人であり、パウロはその一人ひとりを大切にし、その人の立場に立って宣教をするのです。
パウロは、相手に合わせて自分のすべてを変えていくようにさえ見えます。しかし、そのパウロが決して譲らなかった点があります。それは、福音の中心であるイエス・キリストの十字架上の死と復活です。パウロは、同じコリントのキリスト者たちに記しています。十字架は、「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものです」(一コリント1・23)。しかし、「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」(同)。また、肉体が霊的・理性的なことより劣っていると考えるギリシア文化にとっては、死後にからだが復活するという教えは、必ずしも魅力的ではなかったようです。そこで、パウロは言います。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(15・12-14)。パウロにとって、一人ひとりに対する配慮と理解は、彼らが福音の恵みにあずかるためのものです。だから、福音の真理を覆い隠したところに真の意味での愛と尊敬はないのです。
福音宣教の「場」となるコミュニケーションの世界は、パウロの時代に比べて、大きく変わりました。しかし、根本的な要素は不変です。キリストの十字架上の死と復活によって、わたしたちの救いが成し遂げられたのであり、これを覆い隠すことがあってはなりません。しかし、この福音を伝えるために、わたしたちは相手への愛と尊敬をもって、忍耐強く対話をしていくのです。教皇は、メッセージの最後に、次のような言葉を若者たちに向けています。「人間の心は一つの世界を渇き求めています。愛が治める世界、賜物が分かち合われる世界、一致が築き上げられる世界、自由がその固有の意味を真理のうちに見いだす世界、そして互いを尊重し合う交わりのうちに各々のアイデンティティーが実現される世界を。こうした要望へのこたえを信仰は与えることができるのです。皆さんはそれを伝える使者となってください。教皇は、祈りと祝福をもって、皆さんの隣にいます」。
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