みことばの調べ 森一弘司教の主日の福音説教集
人間の叫びにこたえる
年間第五主日(マルコ1・29—39)
「ほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出てきたのである」という言葉から、宣教しようというイエスの意気込みが伝わってきます。マルコは「ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪魔を追い出された」とイエスの動きを報告します。
しかし、注意深くマルコ福音書を読んでいきますと、何を宣べ伝えているのか、宣教の具体的な内容は浮かび上がってきません。ちなみにマタイは「御国の福音を宣べ伝え、人々のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ4・23、9・35など)と記し、宣教の内容が「御国の福音」であることを示し、さらにまたイエスがなされた天の国のたとえ話を数多く取り上げて、その具体的な内容まで明らかにします。ところが、不思議なことに、マルコは、天の国のたとえ話もほとんど取り上げず、病人をいやしたり、悪霊を追い出したりするエピソードを中心に話を進めます。従ってマルコだけを読めば、悪霊の追放や病人のいやしが即、宣教であるかのような印象を受けてしまいますが、果たしてそれでよいのでしょうか。
こうしたマルコの特徴は、復活後にイエスが弟子たちを全世界に派遣する言葉にも明確に表れます。マタイでは「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。……洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と明らかに教えにアクセントが置かれた表現になっていますが、マルコでは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。……信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」とあり、教えよりも病や悪霊の克服にアクセントが置かれています。こうしたことからマルコは、イエスの宣教活動を人間を死の中に引きずり込んでしまう病や悪霊からの解放ととらえていたと結論づけても間違いないように思えます。
実に、「病む」「老いる」「死ぬ」、これは、人間のだれもが直面しなければならない現実です。それは「土からとられたのだから、土にかえらなければならない」という人間の弱さの具体的な表れです。しかし、一方で私たちには「生きたい」「充実した生をエンジョイしたい」という強烈な本能があり、願望があります。それが否定され、生の営みがむしばまれ、押しつぶされてしまう現実は、人間に深い苦悩を与えます。病、老い、死から解放されたい、それは人間の切実な叫びです。この叫びにこたえる、それが病人をいやし、悪霊から人々を解放するイエスだったのです。そこに神の働きがあります。マルコはそこに福音を見ていたのです。
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