聞くという種 - これって、どんな種?

井手口満修道士のこれって、どんな種?

聞くという種

年間第16主日(マタイ13・24〜43)



麦畑.jpg 私たちは、【聞く】とか【見る】という動作を、意識せずに行なっています。しかし、聖書の中では、これらの動作は、大切な意味が隠されているのです。日本語の中でも、【聞く】という漢字と【聴く】という漢字を区別することがあります。先日、ある教会で、青年会主催の『わかちあいたいかい』というものが企画されました。この大会は、ミサの後に希望者が、いくつかのグループに分かれて、それぞれのグループで生活のことや信仰のことなどを分かち合うというものです。この分かち合いの素晴らしいところは、いろいろな年代の方、男性、女性など普段はあまり会話をしない人と話ができるということです。そして、自分の話をするだけではなく、相手の話に耳を傾けることができるのです。

 さて、きょうのみことばは、大きく分けて『毒麦のたとえ話』『からし種のたとえ話』『パン種のたとえ話』の三つのたとえ話からなっています。そして、この三つのたとえ話に共通して言えることが【天の国の秘義】について教えられているということです。最初のたとえの『毒麦のたとえ話』は、種まきが【良い種だけ】を畑に蒔いたのに、人々が寝ている間に敵が来て【毒麦】を蒔いてしまったのです。しもべたちが主人のところに来て、【毒麦】のことを報告すると、主人は、彼らに「敵意を持つ者の仕業だ」と答えられます。この【敵意を持つ者】とは、イエス様が愛している弟子たちに対して「妬み」を持つ人たちのことを指しているのではないでしょうか。

 主人は、この敵意を持つ者に対しては、別に咎めるということはしませんでした。しもべたちは、主人に「では、わたしたちが毒麦を抜き集めましょうか」と言います。この言葉は、一見親切心のように聞こえますが、大変な落とし穴があるのです。彼らは、毒麦に対して駆除してしまう、価値がないものとして処分しようとしているのです。主人の答えは、「それにはおよばない。……両方とも育つままにしておきなさい。」というものでした。主人は、おん父またはおん子のことを指しているようです。主人は、たとえ敵から蒔かれた毒麦のような、弱い人々、人々から罪人とレッテルを貼られた人々、生活が貧しいために律法を守ることができない人々に対して、寛大に見守られ、回心することを待っておられるのです。このたとえ話の、主人としもべたちの会話は、私たちの生活の中でもたびたび起こってしまうことではないでしょうか。私たちは、ときとして、自分たちの意見や枠に合わない人たちに対して、攻撃をしたり、無理に型にはめようとしたり、仲間はずれにしたりしてしまいます。または、善かれと思って、おせっかいをしてしまったりします。おん父は、そんな人に対して、【「それにはおよばない。」】とブレーキをかけられるのです。

 おん父は、最後のときに【刈る人】である天使に命じて「毒麦を集めて、焼くために束」にされるのです。私たちは、【毒麦】に対して自分たちから【裁く】必要などないということなのです。まず、私たちは、おん父の寛大さ、慈愛さそして忍耐を頂くことができるよう祈ることが大切なのではないでしょうか。また、反対に私たちが【毒麦】になってしまった場合は、おん父の愛に信頼して【回心】することができるようにお恵みを祈り、願いたいものです。

 次に、イエス様が語られた二つのたとえ話で共通することは、最初は小さくても大変大きな影響力を持っている、ということではないでしょうか。イエス様が教えられるみことばという種は、大変小さなものなのでしょう。しかし、そのみことばを生きようとしたときに、信じられないほどの大きな結果、恵みを頂くことができると伝えられているのではないでしょうか。天の国とは、このような小さな種やパン種に気がつき、それを大きく生かすことなのかもしれません。特に、パン種は、ユダヤ人たちにとって不浄なものとされていました。一見不要なものと見られているものの中に大切な教えがあるのかも知れません。また、ある意味で、マタイが宣教をしていた共同体の中には、ユダヤ人社会から排斥された人たちがいたのではないでしょうか。そして、マタイは、みことばを通して彼らに対してのイエス様の愛の豊かさを伝えようとしていたのでしょう。

 さて、今回の箇所には、「聞く耳のある者は聞きなさい」というイエス様の言葉があります。この言葉は、前のたとえ話にも使われています(マタイ13・9)。パウロは、「信じたことがないかたを、どうして呼び求めることができるでしょうか。聞いたことがないかたを、どうして信じることができるでしょうか。……信仰は聞くことから始まります。そして、聞くというのは、キリストについてのことばを聞くことです。」(ローマ10・14〜18)と伝えています。イエス様がみことばの中で言われた、【聞く】という言葉の中には、【信仰】と大変関わりがあるのではないでしょうか。私たちは、信仰を持ってイエス様のみことばに耳を傾けるとき、【天の国の秘義】を理解できるお恵みを頂くことができることでしょう。私たちは、イエス様のみことばを【聴く】ことができるように祈り願っていきたいものです。