希望の光という種 - これって、どんな種?

井手口満修道士のこれって、どんな種?

希望の光という種

待降節第1主日(マルコ13・33〜37)



 私たちにとって【仕事】とは、いったいどのような意味があるのでしょうか。テレビのニュースで、東関東大震災で被災した石巻の漁村を取材していた番組がありました。その漁村でわかめやホタテを養殖する主婦たちは、漁ができずに家の中で絶望と不安な生活を送っていました。そこへ、あるNPOの団体が、布に綿を入れてクリスマス・オーナメントを作ってもらう仕事を彼女らにお願いするというボランティアグループが来たのです。

 初めの頃、彼女たちは、自分たちがしている仕事に対して疑問を持ち、「なぜ、自分たちは漁ではなく、このような針仕事をしているか」と情けなくなり涙が出ていたそうです。しかし、仮設住宅の一つの部屋に集う仲間と共に、一針、一針心を込めハート形や星形のオーナメントを作りながら会話をしていくうちに、自然と笑いが出るようになり、このオーナメントを買ってくれる人たちの声を聞くうちに、生きる希望が出てきた、と語っていました。そして、その中の1人は、ご主人ともう一度わかめ漁を始めて見ようと思われたのです。彼女は、「私があのオーナメント作りをしなかったら、もう一度主人と一緒に漁をしようとは思わなかったでしょう。今、涙を流していますが、この涙は、悲しみの涙ではなくうれし涙です。」とわかめ漁をしながら語っていました。

聖地巡礼0715.jpgサン・ペトロ大聖堂(ヴァチカン) 仕事は、ただお金を稼ぐだけではなく、人に生きる希望を与えるものにもなるのです。さて、きょうのみことばは、イエス様が弟子たちにエルサレムの滅亡の予告や世の終わりについてお話された後に弟子たちに語られる場面です。きっと、弟子たちはこの時不安に満ちていたことでしょう。きょうの箇所の中に【目を覚ましていなさい】という言葉が4回も使われています。では、この【目】とはどのような意味で使われていつのでしょう。聖書の中で【目】は、良い意味にも悪い意味にも使われています。目は、誘惑が体に入り込む通路となり、最初の罪も【目】を通して起きて来ました(創世記3・6)。しかし、「目は体の灯である。もしあなたの目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい。」(マタイ6・22)とありますように、目は、私たちの体に光を取り入れる大事な器官として用いられると同時に、人の全人格を代表するものとして用いられています。

 きょうの箇所の【目覚めていなさい】という言葉の【目覚める】というのは、「澄みきった【目】からいつも【光】を体に取り入れていなさい。」ということではないでしょうか。私たちは、目を覚まして体の中を光で満たすことで周りの人に対してもその光を与えることができると同時に、周りをよく見つめることもできるのではないでしょうか。そして、その見つめる目の先は、イエス様に向いていると言ってもいいと思います。もう一つ、【目覚める】という言葉は、私たちが普段使っているように、眠っていた状態から【目覚める】という意味でも用いられます。きょうのみことばの箇所は、エルサレムの滅亡の話を聞かされた弟子たちは不安な気持ちに襲われていたことに対して、【目覚めている】ことで「いつも気を引き締めて注意していなさい。」という意味で使われているのかも知れません。

 きょうの箇所中には、【目覚めている】ということにヒントを与えているような気がします。イエス様は、「それはちょうど、家を後に遠方に旅立つ人が、僕たちにそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、命じるようなものである。」と言われます。イエス様は、私たち一人ひとりに【仕事をあり当てて責任を持たせて】おられるのです。その仕事とは、みことばを人々に伝えること、隣人に親切にし、毎日の仕事を愛を持って行なうことではないでしょうか。それらはすべてこれからお生まれになられるイエス様を人々に伝えることにも繋がるように思えます。

 震災によって希望を失った人たちに、生きる希望と勇気を与えたのは、オーナメントを作るという仕事でした。日本全国から注文がありいくつかの百貨店に彼女たちのオーナメントが並んでいます。それを買った人たちは、その温かさに触れ、インターネットを通して石巻で作ってくれた人たちに感想や励ましのメッセージを送っていました。この仕事は、石巻の漁村の人たちに生きる希望と勇気を与えるとともに、オーナメントを手にした人々にもその愛を伝えるものとなったような気がいたします。

 今、典礼では待降節に入りこれから生まれるおん子イエス様を迎えようとしています。イエス様は、闇を照らす光であり、私たちの希望の光です。私たちは、この希望の光を【目】を通して私たち自身の体の灯火としながら、周りの人にも希望と勇気の光を与えて行きたいものです。