幼子を捜し出すという種 - これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

幼子を捜し出すという種

神の母聖マリア(ルカ2・16〜21)


聖地巡礼0331.jpg天使のお告げを受けている羊飼いたち(『羊飼いの野の教会』イスラエル) いま、私たちはお正月を迎えています。毎年ですと「新年のお慶びを……」とか「明けましておめでとうございます」とかの挨拶をいたしますが、今年はそのような挨拶をすることを控える感じがいたします。典礼では、“神の母聖マリア”の祭日ですが、今年は偶然1月1日と重なりました。この典礼は、私たちのために聖母マリアが【神の母】としておん子イエス様を私たちにお与えくださったこと、そしてマリア様が教会の母となられたことを記念する日です。

 きょうのみことばは、クリスマスの夜半のミサに読まれた福音の続きの場面です。その場面を少し振り返ってみたいと思います。天使たちが羊飼いたちに現れて「恐れることはない。……今日、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に乳飲み子を見出すだろう。これが徴である」(ルカ2・10〜12)と告げます。羊飼いたちは、その言葉を聞いて「さあ、ベツレヘムに行って、主の知らせてくださった、その出来事を見て来よう」と言って捜しに行きます。ここで、天使の知らせの中には、マリア様へのお告げの場面と共通するパターンが記されています。それは、【天使が現れ】、【恐れることはない】という言葉に続き、【天使が現れた理由・啓示】があり、それを証明する【徴】があります。これらの文体は、おん父からの特別な使命を与えられる時に使われているもののようです。おん父は天使たちを遣わして、羊飼いたちに特別におん子イエス様を見つけ出す使命をお与えられたのでした。

 羊飼いたちは、急いで出かけ、マリア様とヨセフ様そして、【飼い葉桶】に寝ている乳飲み子を捜し当てます。それは、天使たちに告げられた通りだったのです。ここで、天使たちはなぜ、大祭司や律法学者などの権力者ではなく、貧しい羊飼いに現れたのでしょうか。一説によりますと、ダビデがベツレヘムで羊飼いをしながら過ごしていたことと繋がっているのではないかと言われているようです。このように考えますとイエス様の誕生の場面は、旧約からの長い歴史に深く関係があるということが見えてくるのではないでしょうか。

 羊飼いたちは、飼い葉桶に眠る幼子を【見て】、天使たちから告げられたことばを人々に【知らせます】。聖書の中で【見る】という言葉は、特別な意味として使われます。イエス様が復活されたときに、ペトロとヨハネがイエス様の墓に行く場面でもよくこの【見る】という単語が使われています(ヨハネ20・1〜10)。【見る】という語には、ただ単に目に映るものを見るだけではなく、注意して見る、信仰の目、心の目で見るというという意味も含まれているようです。羊飼いたちは、飼い葉桶に眠っている幼子を心の目で見て、天使たちから告げられたことを人々に知らせたのでした。羊飼いたちはここでイエス様のことを伝えるという使命をいただき、宣教したと言ってもいいでしょう。人々は、彼らの言葉を聞いて【不思議】に思います。人々は、羊飼いたちのことをどこまで信じたのでしょうか。もしかしたら、興味本位に聞いたのかも知れません。

聖地巡礼0332.jpg天使のお告げを受けて幼子を捜しに行く羊飼いたち(『羊飼いの野の教会』イスラエル) さて、私たちは、この箇所に黙想の材料を見つけることができるのではないでしょうか。私たちは、権威ある言葉やマスコミからの情報には、よく耳を傾けます。しかし、貧しい人やあまり気を留めていない人の言葉には、耳を傾けません。もしかしたら、今の時代の中でもおん父から告げられた大切なことを話している人がいるのかも知れません。私たちは、そんな彼らの声にも耳を傾けたいものです。みことばは、「マリアはことごとく【心に留め、思いめぐらしていた】。」と伝えています。この言葉は、イエス様がナザレで生活されているご様子を表している場面でも使われています(ルカ2・51)。マリア様は、羊飼いが伝えたこと、そして、ご自分に天使ガブリエルが現れて語られたことを思いめぐらされていたのでした。この【心に留め、思いめぐらしていた】という言葉は、マリア様の思いだけではなく、神様からの特別な恵みによって思いめぐらすことができたと言えるようです。

 きょうのみことばは、いま生きている私たちに特別なメッセージを伝えているような気がいたします。おん子様のご誕生の出来事は、ベツレヘムで羊飼いをしていたダビデから長い歴史が経過し、天使のお告げを羊飼いが受け幼子を捜し出し、さらに、そのそれらの出来事をマリア様が【心に留め、思いめぐらされた】のです。いま私たちは、自分たちの周りの出来事の中にもおん父からのたくさんの恵み、メッセージを受けているのではないでしょうか。みことばを通して、いまの私たちの所にお生まれになられた幼子を改めて探し出す作業をしてみてはいかがでしょうか。神の母であるマリア様の謙遜な心を願ってまいりましょう。きっと、私たちは幼子イエス様を探し出すことができるのではないでしょうか。