これって、どんな種?

井手口満修道士のこれって、どんな種?

マリアに倣う種

〈待降節第4主日〉ルカ1・26〜38

 
 待降節も最後の主日になりました。教会の祭壇の側に置いてある、アドベントキャンドルは、四つの灯火がともされたのではないでしょうか。そして、きょうのみことばは、多くの画家によって描かれた『受胎告知』の箇所です。

 ルカのきょうの箇所を読む時に、同じように書かれた「ザカリアへのお告げ」と重なってしまうのではないでしょうか。私たちは、もうすでに聖書を読んでいますから、マリアへの大天使ガブリエルのお告げの場面をすんなりと頭に入いることでしょう。教会や幼稚園などの聖劇にも何度か登場しますし、映画『マリア』でもこのマリアへのお告げの場面は、神秘的な場面になっています。それに対して、ザカリアへのお告げは、マリアへのお告げと比べると劣るような印象があるような気がいたします。

 しかし、当時のユダヤ人社会の中で考えますと、ザカリアは祭司であり、主の聖所へ入ることができたほどのエリートと言ってもいいのです。かたや、マリアはナザレという村の娘でしかなかったのでした。ザカリアとエリザベツとの間にヨハネという子が生まれるということの印には、ザカリアの口がきけなくなる(ルカ1・20)のに対し、マリアへの印は、親戚エリザベツの妊娠の知らせでした。このように二つのお告げによっておん父の私たちへの救いご計画が始まったと言ってもいいでしょう。

 このマリアへのお告げは、まず大天使ガブリエルの「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたとともにおられます」という挨拶から始まります。この挨拶の中の【喜びなさい】ということばは、ただたんに嬉しさの喜びだけではなく、子どもが生まれるという意味の【喜び】のことでした。さらに、ガブリエルは、主はあなたとともにおれます、とマリアに伝えます。もうすでにマリアが主とともに一体ということも含まれているのではないでしょうか。そして、ガブリエルは、マリアが男の子をみごもること、そして名をイエスとつけることを伝えます。ガブリエルは、イエス様がどのような使命を受けているかを伝えました。その使命とは、王としてすべての民族を治めることと、その治世は限りなく続くということでした。このことは、今の現代世界にまでも続いていると考えていいのではないでしょうか。

 さて、大天使ガブリエルのマリアへのお告げは、一人の村の娘にはどれもこれも荷が重すぎるものばかりと言ってもいいでしょう。まだ、男を知らないマリアは、み使いの言葉に驚かされ理解できないようなことが、目の前で起こっていて、このことが現実なのか理解できなかったのではないでしょうか。極め付けとして、ガブリエルはマリアに「お生まれになる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」と伝えるのでした。マリアは、自分が神の子の母となることを知らされたのでした。それでも、マリアは、「わたくしは主のはしためです。おことばのとおり、この身になりますように」と言われ天使のお告げをお受けになられました。このことが、マリアの素晴らしいところではないでしょうか。

 おん父のご計画は、時として私たちが理解できない方法でなされます。私たちは、これから起こることへの不安や、不確かさの中へ投げ出されるような思いにかられることもあるかもしれません。それでも、おん父のご計画は進んで行くのです。私たちは、このご計画によって進むための一番の良い方法は、マリア様のように「わたくしは主のはしためです。おことばのとおり、この身になりますように」という言葉をおん父に伝えることではないでしょうか。天使のマリア様への挨拶の中に「主はあなたとともにおられます」とあります。このことばは今の私たちにも当てはまることだと思います。天使のお告げは、私たちの中にも響いているといってもいいでしょう。私たち一人ひとりの中には、主がともにおられ、その主とともにおん父のご計画を担って行くことが私たちの使命ではないでしょうか。

 クリスマスを迎える前に、今一度、マリアに与えられたおん父からの使命を思い起こすことができたらと思います。このお告げの場面を黙想することで私たちの日々の励みとなることと思います。今の場において私たちに与えられたおん父か与えられた使命を思い起こし、これからお生まれになられるおん子と共にこれからの道を歩んで行くとともに、マリア様がお告げをお受けになられたように私たちもマリア様に倣って私たちの使命を一歩一歩、おん父のご計画に近づくことができますようにマリア様の取り次ぎを願って行きたいものです。