井手口満修道士のこれって、どんな種?
聖霊が導く出会いの種
〈聖家族〉ルカ2・22〜40
「一期一会」という言葉があります。この言葉は「茶の湯で、相手に対して一生に一度だけ出会うつもりで、悔いのないようにもてなしなさい」という意味です。今年のクリスマスには、私たちの修道院でめずらしくある女の子の洗礼式がありました。聖堂には、洗礼を受けられる女の子のご両親、友人、そして私たちと席が一杯になるくらいの人で埋まりました。
ミサの後には、お客さんとともにささやかなパーティーが行われました。もちろん初めて会う人がほとんどです。しかし、そのような出会いの中でこれからどのような人のつながりとなるか判らないものです。そういう意味では、人との出会いほどおもしろいものはないのではないでしょうか。
さて、きょうのみことばの中にも、すばらしい出会いが表わされています。イエス様は、神に奉献されるために両親に連れられてエルサレムの神殿へ行かれます。それは、律法で「初めて生まれる男の子は皆、主に聖別された者」となるためでした。そのエルサレムの神殿で、彼らはシメオンという人に出会います。みことばには、「……。また、聖霊が彼の上にあり、主が遣わすメシアを見ないうちは決して死なないと、聖霊のおつげを受けていた。彼は、聖霊に導かれて神殿に来ると、みどり子イエスを連れた両親が、この子のために律法のしきたりを行おうとして、入って来た。」とあります。シメオンは聖霊に導かれて、神殿に入り聖家族と出会ったのでした。みことばは、「聖霊があなたに臨み……」(ルカ1・35)とありますようにマリア様ご自身も聖霊に満たされていることを伝えましたが、シメオンに対しても同じように聖霊の働きがあったのでした。
このように、大切な人と人とが出会うときには、聖霊の働きがあるのではないでしょうか。聖霊に導かれたシメオンと同じように聖霊に満たされたマリアは、エルサレムの神殿の中で出会わされたのでした。そして、イエス様に出会ったシメオンは、神様を称えて賛歌を唱えます。そして、シメオンは、彼らを祝福して、マリア様に「この子は、逆らいを受けるしるしとなり、あなた自身も心を剣で貫かれるでしょう。この子は、イスラエルの多くの人の滅びと立ち上がりの基となり、これによって、多くの人のひそかな思いがあらわにされるでしょう」という預言のことばを伝えました。
この預言は、イエス様がどのような生涯を送られるのかということを伝え、イエス様に対して逆らう人は滅びへと向かい、イエス様を受け入れる人は、立ち上がる(生きて行く)ための【基】となるということを伝えていようです。このことは、私たちの黙想の材料になるかもしれません。私たちは、たとえイエス様に背いたとしても何度でもイエス様を信じることで立ち上がることができるのではないでしょうか。さらに私たちは、イエス様に対して背いているとき、イエス様を傷つけていると同時にマリア様に対しても傷つけているのです。
さて、シメオンと聖家族との出会いは、単なる出会いだけではなく、シメオンはこれから安らかな死へと導き、聖家族にとってはこれからの生涯の預言というメッセージを受け取ることとなったのでした。そしてこの出会は、聖霊の導きがあったから行われたのでした。
私たちは、一生の中で何度か大切な出会いがあるのではないでしょうか。ただ一回の出会いに終わる時もあるでしょうが、反対に一生の出会いになることもあることでしょう。ある人にとっては、友人にとなり、恩師となり、または夫婦となることもあることでしょう。そのような出会いの中で聖霊の働きがあるということを忘れてはいけないような気がいたします。聖霊は、シメオンと聖家族を出会わせたように、私たちと大切な人とにも出会わせてくださっているのではないでしょうか。私たちはこの聖霊の働きに敏感になって、同時にそこからくるメッセージも受け入れていきたいものです。
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