これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

福音を宣べ伝えるための種

〈聖パウロの回心〉マルコ16・15〜18

 
 私たちは、洗礼を受けるきっかけとなったのは、イエス様を知ったから、信じたからということが大きな要因になるのではないでしょうか。もちろん、幼児洗礼でも同じようなことが言えると思います。ただその場合は、代父、代母が幼い子どもに代わって信仰を宣言いたします。しかし、幼児洗礼を受けた人でも、成人する中でしっかりとイエス様を知り、信じる機会があることでしょう。イエス様を知り、信じた私たちは、その信仰を証ししながら生き、そして宣べ伝えるという使命をイエス様からいただくのだと思います。

 さて、きょうのみことばは、復活後のイエス様が弟子たちにお会いになり、使徒としての使命を伝える場面です。イエス様はまず弟子たちに「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい。」と言われます。このことばは、私たち一人ひとりに対して同じように言われているのです。さらに、「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられるだろう」と厳しいことを言われます。

 洗礼を受け、イエス様の弟子になった人は、悪霊を追い出し、新しい言葉を語ります。へびを捕み、また毒を飲んでも、けっして害を受けない。また、病人を回復させるという力をいただくと言われます。ここで言われる「へび」は、反キリスト者を指していると言われています。洗礼を受けてイエス様の弟子になった人たちは、その人のタレントに合ったお恵みをいただき、さまざまな迫害に対して強く耐え、イエス様を知った喜びを人々に話し、分ち合い、また、多くの人々を癒すことができるのではないでしょうか。

 これらのことは、まず、私たちがイエス様を【信じる】ことから始まると言っていいでしょう。パウロは、「信じたことのないかたを、どうして呼び求めることができるでしょうか。聞いたことのないかたを、どうして信じることができるでしょうか。宣べ伝える者がなければ、どうして聞くことができるでしょうか。遣わされなければ、どうして宣べ伝えることができるでしょうか。」(ローマ10・14〜15)と言っています。まず、私たちはイエス様を「【信じる】ことなしには宣教が出来ない」と言ってもいいのではないでしょうか。

 さて、きょうは【聖パウロの回心】を祝っているのですが、聖パウロは、自分のことを「律法の点ではファリサイ派、熱心さにかけては、教会を迫害したほどであり、律法に照らして正しいという点では、非の打ちどころがありませんでした。」(フィリピ3・6)と手紙の中で書いています。彼は、生っ粋のユダヤ人であり、ローマの市民権を持ち、ユダヤ教では最高の師についている、エリートだったのです。その彼が、イエス様に出会い、彼を知った時からそれらのことすべてを「屑にすぎない」と言ったのでした。パウロは、キリスト者を迫害している立場から一転して、キリストを伝えるものとなったのです。

 何が彼をそうさせたのでしょうか。すべては、イエス様のすばらしさを知ったからではないでしょうか。イエス様の愛を知り、魅せられたのです。パウロは今までの迫害をしていたのが信じられないように、イエス様の福音を宣べ伝えていきました。きょうの「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい。」とのみことばをそのまま生きたと言ってもいいでしょう。さらに、パウロのすばらしいところは、自分が行った業、宣教に対して執着がないということです。彼がコリントの信徒に出した手紙の中に「わたしが福音を宣べ伝えても、誇りにはなりません。そうしないではいられないからです。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしにとってわざわいです。」(1コリント9・16)、「『誇る人は主において誇れ』ということなのです。自分を売り込む者でなく、主が推薦してくださる人こそ、本物の信仰者だからです」(2コリント10・17、18)と言っています。

 これらのパウロの手紙は、私たちが福音を宣教して行く中で大変黙想になるのではないでしょうか。私たちは、どうしても「私が宣教しないと」「私がこの人を何とかしないと」「私が……」というようについつい気を負ってしまいがちです。その姿は、キリストに出会う前のパウロが「私がキリスト者を……」という姿と重なるような気がいたします。このように「私が……」という間は、イエス様が私たちの中で自由に働くことができないのではないでしょうか。私たちは、イエス様が私たちを使って自由に働けるようにするために、「私が……」を取り去り「イエス様が……」という気持ちで宣教する方がいいのではないかと思うのです。パウロが言った「誇る人は主において誇れ」という姿は、イエス様が私たちに対して「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい。」と言われたことばを実行するためのいちばんの近道ではないでしょうか。