これって、どんな種?

井手口満修道士のこれって、どんな種?

彼に聞けという種

〈四旬節第2主日〉マルコ9・2〜10

 
 私は先日、パウロについての講演を聞きました。その講師は、青山学院大学で宗教を教えている牧師さんでした。彼の講演は、お話とマンガを書きながら分りやすく説明されます。私は彼の講演の間中、彼の話に耳を傾けノートをとっていました。人は、興味があるものに対して、一言も聞き漏らさないようにと集中して聞くものなのだなと、私は振り返りながらそう思いました。

 さて、きょうのみことばは、イエス様のご変容の場面です。イエス様は、ペトロとヤコブとヨハネだけを連れて山にお登りになります。聖書の中で山というのは、日常から離れた神聖な場所とされているようです。その山に彼らだけで登って行ったのでした。山の上に着くとイエス様の姿が変わります。その衣は、この世のいかなる布さらしでもなしえないほどの白さでした。イエス様の衣がこの世では出せないほど白さと言うことから、地上の姿ではないことを表わし、また【白】というのは、神聖さを表わす色のようです。

 そこへ、エリアとモーセが現れイエス様と語り合います。ペトロは、そんな状況をいつまでも留めておきたかったのでしょう。三人のためにいおりを建てようと言います。さらに、雲が現れ彼らを覆い、雲の中から「これはわが愛する子。彼に聞け」とおん父の声が響いたのでした。この雲は、神様の臨在を表わしています。そう、きょうの変容の場面は、神聖な山に登り、イエス様がこの世的ではない姿に変わられ、神聖さを表わす【白い衣】をまとわれ、そして、神様の声が雲の中から「これはわが愛する子。彼に聞け」と聞こえたのでした。変容の場面は、全てが神聖なメッセージが含まれているのではないでしょうか。

 さて、おん父が雲の中から言われた「これはわが愛する子。彼に聞け」というみことばの中の【彼に聞け】ということばは、彼に聞き従いなさいと言う意味のようです。このおん父のことばは、弟子たちに対して言われていますが、同時に私たち一人ひとりに対しても言われていることばではないでしょうか。まず、私たちは、イエス様に従うためにイエス様が何を私たちに伝えてようとしているかを【聞く】ことから始めなければならいのではないでしょうか。パウロは手紙の中で、「……、信仰は聞くことから始まります。そして、聞くというのは、キリストについてのことばを聞くことです。」(ローマ10・17)と書いています。

 私たちは、イエス様について【聞く】ことから始めるために、弟子たちのように【山】のような神様との場に体を持っていくことが、大切なのではないでしょうか。いつも教会が側にあるとは限りません、そのようなとき自分の部屋でもいいでしょう。私とイエス様の時間、空間を作れるような所を確保したいものです。それから、祈りやみことばの黙想を通してイエス様からの声を【聞く】ことができるのではないでしょうか。時には、友だちとの会話の中や、出来事の中にイエス様からのメッセージを受けることもあるかもしれません。そして、そのことばに【従う】ことが求められます。

 弟子たちは、イエス様と一緒に山から降りて行きます。彼らは、神聖な世界から日常の生活に戻ろうとしているのです。その時、イエス様は、「今見たことを、ご自分が復活するまで誰にも話さないように」と言われました。それは、弟子たちがまだ【復活】という意味を理解できていなかったからでした。私たちは、みことばによってイエス様の【復活】の場面を知っています。しかし、その【復活】をどこまで理解しているのでしょうか。復活の喜びを周りの人に伝えるということは、今の社会の中ではかなり難しいことです。私たちは、復活されたイエス様を周りの人に知らせるために、もっとイエス様のことばに耳を傾けること、【聞く】ことを実行したいものです。イエス様は、私たちが心から耳を傾けているとき、私たちの心の中におことばをくださることでしょう。私たちは、そのことばに信頼しながら歩んで行きたいものです。