これって、どんな種?

HOME > コラム > これって、どんな種? > バックナンバー > ホザンナという種から…

井手口満修道士のこれって、どんな種?

ホザンナという種から…

〈受難の主日〉マルコ11・1〜10

 
 人の気持ちは、変わりやすいものです。自分たちにとって思い通りに行かなくなったり、意見が食い違ったりすると手のひらを返すように気まずくなったり、離れていったりしてしまいます。これは、私たちの反省する点ではないでしょうか。

 さて、きょうのみことばは、イエス様がエルサレムへ入城される場面です。イエス様は二人の弟子たちに「向うに見える村に行って来なさい。村に入るとすぐに、まだだれも乗ったことのない子ろばがつながれてあるのを見つけるだろう。それを解いて引いて来なさい。」と言われます。弟子たちは、不安のなか、目的の村に出かけて行きます。この【まだだれも乗ったことのない子ろば】とありますが、これは、聖なる目的で用いられる動物や物はまだ使われたことのないものでなければならなかったようです。たとえば、生け贄として祭壇に捧げられる動物はまだ軛をつけられていない動物を使っていたようです(民数記19・2)。また、【ろば】が用いられたのは、ザカリヤ書に出ています「彼は神に従い、勝利を与えられて者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗ってくる」(ザカリヤ書9・9)という箇所をイエス様は、ご自分と重ねたようです。

エルサレム.jpgエルサレム 弟子たちは、イエス様に言われたとおりろばをイエス様の所に連れて来ました。そして、彼らは自分達のマントをろばにかけイエス様はそれにお乗りになられました。そして、いよいよエルサレムに入城されるのです。弟子たちは、きっと誇らし気にイエス様と共にエルサレムに入ったことでしょう。エルサレムへの道には、過越祭に来ていた巡礼者が、待ちに待ったメシアが来たことを知り、口々に「ホザンナ、主の名によって来られたかたに祝福があるように。今来たわれらの父ダビデの国に祝福があるように。いと高き所にホザンナ」とイエス様を称えながら、道にマントや小枝などを敷きました。彼らは、ホザンナ(私たちに救いを)と言いながらそしてようやく、ダビデの国と表わしているユダヤ人が待ち望んでいた地上的メシアの王国が来ることを表わしていたのでした。

 しかし、人の変わり様はとても残酷なものです。ユダヤ人の民衆は、イエス様がエルサレムに入られて数日後には、イエス様に向かって「十字架につけろ」と叫んでいたのです。彼らは、イエス様がエルサレムに入城された時には、「ホザンナ」と称え、今度は「十字架につけろ」とののしり、侮辱のことばに変わったのでした。弟子たちは、自分たちもユダヤ人たちから捕まるのを恐れて逃げ、ペトロは「いや、知らない。あなたの言っていることは何のことだかわからない」(マルコ14・68)と言ってイエス様を否認しました。

 イエス様は、どのようなお気持ちでろばに乗りエルサレムに入城されたのでしょうか。イエス様のエルサレムへの入城は、十字架への道だったのです。ヨハネの福音書には「今、わたしの心はかき乱されている。何と言ったらよいのか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。いや、このために、この時のためにこそ、わたしは来たのである」(ヨハネ12・27)とイエス様のお言葉を表わしています。まさに、イエス様は、ろばに乗られ十字架への道を思われ、これからの人々の心の変わり様を悲しまれたことでしょう。

 私たちは、きょうのみことばを黙想しながら反省しなければいけません。私たちは、ときとしてみことばを傍観者としてイエス様の受難を読み、聞いています。私たちの罪の一つひとつが、イエス様への侮辱であり、鞭であり、いばらのとげ、十字架の釘や槍となっていることを記憶いたしましょう。そして、私たちは、これからの一週間をイエス様の御受難を黙想してご復活のよい準備をしていきたいものです。