井手口満修道士のこれって、どんな種?
あなたたちに平安があるようにという種
〈復活節第2主日・神のいつくしみの主日〉ヨハネ20・19〜31
私たち信者同士で手紙を出す時に「主の平安」と書き出してから本文に入ります。最近は手紙だけでなく電子メールを送る時にも同じように使うことがあります。イスラエルでは、「こんにちは」という挨拶に「シャローム(平安)」と、当たり前のように使っています。
さて、きょうのみことばは、弟子たちがユダヤ人たちを恐れて、家のすべての戸の鍵かけている中に復活されたイエス様がお表れになった場面です。イエス様は、弟子たちの真ん中に立って「あなたたちに平安があるように」と言われます。さらに、イエス様は、ご自分の十字架上でできた傷をお見せになられます。その傷を見た弟子たちは、確かにイエス様が復活してお現れになったことも見て信じそして、喜びます。この喜びはまさしく安心の喜びでもあるのではないでしょうか。
弟子たちは、「今度は自分たちがユダヤ人たちに捕らえられる」と恐れ家に鍵をかけて集まっていました。また、この日の朝には、ペトロともう一人の弟子が空の墓を見て来たばかりでした。弟子たちは、イエス様に対しても「主を裏切った」という罪悪感もあったのではないでしょうか。彼らは、もしイエス様がおいでになられたらきっと「どうして私を見捨てて逃げたのか。どうして、私を知らないと言ったのか」と責められるのではないかと思っていたのかも知れません。そのような弟子たちの中に、イエス様がお現れになられ二度も「あなたたちに平安があるように」と言われたのでした。
さらに、イエス様は弟子たちに対して、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。あなたたちが罪を赦せば、その罪は赦され、赦さないでおくなら、赦されないままである」と言われ、聖霊とともに人を赦す権能までもお与えになられたのでした。弟子たちは、この時自分たちがどれだけイエス様から愛されているのかということに気がついたのではないでしょうか。彼らは、イエス様を裏切ったという自責の念で一杯だったことだったでしょう。そんな彼らは、イエス様から赦され、平安と聖霊をいただいたのでした。イエス様は、ご受難の前に「わたしはあなたたちに平安を残す。わたしの平安をあなたたちに与える。」(ヨハネ14・27)と言われ、また「あなたたちがわたしを愛しているなら、わたしの掟を守る。わたしも父にお願いしよう。そうすれば、別の弁護者(聖霊)を遣わして、いつまでもあなたたちと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14・15)と弟子たちにお約束されました。イエス様は、復活後の弟子たちに現れ、これらの約束を果たされたのでした。
イエス様のこの約束は、聖書の世界だけではなくて、今もそしてこれからも続いているのです。弟子たちは、自分の罪をイエス様から赦されさらに聖霊とともに人を赦す権能を与えられました。人は、大きな苦しみから癒されると人にも優しくできるのではないでしょうか。弟子たちは、イエス様から赦されたことの喜びを知って、今度は、人を赦すことのすばらしさを知ったことでしょう。
ヨハネ・パウロ2世は、2000年の復活節第2主日を【神のいつくしみの主日】とお定めになられました。きょうのみことばの中には、イエス様からの深い【いつくしみ】が私たちに示されているような気がいたします。私たちは、弟子たちのようにイエス様の受難から逃げた、というような罪を犯したわけではありません。しかし、私たちは、生活の中で犯す罪によってイエス様を悲しませ、イエス様を恐れて心の扉に鍵をかけていることを知っています。イエス様は、そのような私たちの心の真ん中にお立ちになり「あなたたちに平安があるように」と言われ、罪をお許しになられるのです。ここにイエス様の愛があり、イエス様のいつくしみがあるのではないでしょうか。
私たちは、イエス様のこのいつくしみと愛を感じることで、私たちがイエス様から罪を赦されたことの喜びを知り、周りの人にも赦すことができるのではないでしょうか。きょうのみことばを通して私たちは、イエス様の「あなたたちに平安があるように」という言葉を黙想しながら、隣の人にもイエス様の【平安】を分かち合えたらと思います。ミサの中で「主の平和」とお互いに交わしますが、これからは、この言葉がさらに生きたものとなることができたら素晴らしいことではないでしょうか。
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