これって、どんな種?

井手口満修道士のこれって、どんな種?

良い羊飼いという種

〈復活節第4主日〉ヨハネ10・11〜18

 
 私は、年に何度か三重県で畑仕事のボランティアをしています。そこは、無農薬の野菜を作って教会などへ奉仕をしているところです。また、そこには鶏舎があって、何百羽という鶏の養鶏もしています。昨年はたびたび、そこの鶏舎に野犬が入ってかなりの鶏が被害にあいました。多くの鶏は、野犬から噛まれて死んだのではなく、ショック死で亡くなったのでした。

 ちょうど私がボランティアに行っているときの夕暮れに、鶏舎に1匹の野犬が入ったのです。そして、いくつか分かれている鶏舎の一つに野犬を追い込みました。しかし、その後は素人がどうすることもできません。私たちは、警察に電話をし、警察から保健所に連絡が行き、大人九人くらいでようやく野犬を捕獲しました。

 さて、きょうのみことばは【良き羊飼い】のたとえ話です。ここでは、イエス様と私たちの関係を羊飼いと羊にたとえて話をしています。この中に雇われた羊飼いが出て来ます。彼らは、狼が来ると羊たちを置き去りにして逃げてしまいます。この雇われた羊飼いは、お金で契約をしてある程度のことはしますが、自分の命を危険にさらすことはしません。狼が来たときなどは、雇われた羊飼いが逃げ出し、後に残された羊たちは、まったくの無防備になりただ狼の餌食になるだけです。

 しかし、良い羊飼いは、狼が来ても決して逃げたりはしません。彼らは、自分たちの命にかえても狼たちを追い払い、羊たちを守ります。イエス様は、良い羊飼いとして私たち一人ひとりを、多くの外敵から守ってくださいます。私たちは、イエス様から守って頂かないと、悪の誘惑や自分の弱さによって罪を犯してしまいます。イエス様は、私たちに「父がわたしにお与えになる者は皆、わたしのもとに来る。わたしは、自分のもとに来る者を決して追い返さない。……。わたしをお遣わしになった方のご意志とは、わたしにくださったものを、わたしが何も失うことなく、終わりの日に、復活させることである。」(ヨハネ6・37〜39)と伝えています。イエス様は、私たちが一人も滅びることを望んでおられません。イエス様は、私たちを救うために十字架にかけられお亡くなりになりました。それは、私たちの罪をあがない救いへと導き、悪の力から私たちを守るためでした。

 イエス様は、十字架の死という苦しみをお受けになられ、おん父のご計画を全うされました。これは、イエス様とおん父の真の愛の関係があるからなのでしょう。イエス様は、このおん父のご計画を全うすることで、私たち一人ひとりを救われたのでした。私たちは、イエス様の大きな愛の中で守られ生きているのです。私たちは、このイエス様の愛に感謝し、また、この愛を周りの人に分ち合って行くという使命をもいただいています。私たちは、まず身近な家族の中でイエス様からいただいた愛を分かち会うことができるのではないでしょうか。パウロは「妻は、主に結ばれた者にふさわしく、夫に従いなさい。夫は、妻を愛しなさい。妻につらくあたってはなりません。子どもたちは、何事につけ、両親の言いつけに従いなさい。それは主に喜んでいただけるからです。父親は、子どもたちにうるさく言ってはなりません。子どもたちがやる気をなくさないためです。」(コロサイ3・18〜21)と家族の関係を伝えています。

 ここには、お互いを愛し、尊敬しあい、守りあうということが伝えられているのではないでしょうか。私たちは、このように身近なところからお互いを思いやり、信頼しあい、愛しあう中でイエス様から受けた愛を分ち合うことができるのだと思います。私たちは、復活された良き羊飼いであるイエス様の愛に満たされ、その愛を身近な人たちと分ち合いながら、イエス様の愛を伝えて行きたいものです。