これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

互いに愛し合うという種

〈復活節第6主日〉ヨハネ15・9〜17

 
 私たちは、人を愛そうとするきっかけは、まずお互いが知り合うというところから始まります。たとえば異性の場合、出会った二人が少しずつ付き合い、お互いを知り合うところから愛が芽生え、そして、結婚へと向かうのではないかと思います。もちろん結婚してからも愛は続き、愛を育むことが大切です。愛は、お互いの中で育み続けることでさらに豊かに成って行くのではないでしょうか。愛は、お互いを大切に思い、尊重し、思いやりを持って行く中で豊かに成って行くことでしょう。

 さて、きょうのみことばで、イエス様は私たちに一つの新しい掟として「わたしがあなたたちを愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」伝えられ、さらに17節では、「あなたたちが互いに愛し合うこと、これがわたしの命令である」と強調されます。このように、イエス様は、私たちがお互いに愛し合うことを新しい掟として伝えられますが、ここで大切なことは、【わたしがあなたたちを愛したように】ということです。イエス様の掟は、私たちがイエス様から受けたと同じように、お互いに愛し合うということです。

 このことは、人の力だけでは不可能に近いもので、イエス様の力をお借りするとことで初めて可能になるものです。イエス様が私たちに示された愛は、私たちの罪をあがなわれおん父との栄光へと導くために、十字架でお亡くなりになり復活されるまで愛してくださっています。おん父は、このご計画の初めとして、イエス様を私たちが住んでいる地上に遣わされました。ヨハネ福音書では「み言葉は人間となり、我々の間に住むようになった」(ヨハネ1・14)と伝えています。イエス様は私たち一人ひとりの中にお住みになられておられるのです。

 私たちは、人への愛が芽生え、そして愛し合うときにお互いの中におられるイエス様同士が愛しあっていると言ってもいいのではないでしょうか。もちろん、私たちは、相手の中のイエス様を見ることはできませんし、意識もしないことでしょう。しかし、お互いの愛を育む中で困難に出会う時には、人の力ではどうすることも出来ない場合も出て来るのではないでしょうか。先日、『60歳のラブレター』という映画を観ました。その中で、ある夫婦が夫の定年退職を機に離婚をします。お互いの夫婦生活が次第に稀薄になり義務だけで過ごしていたのでした。彼らは離婚後あらたな生活をスタートするのですが、うまく行かず改めてお互いの愛を確かめ合い、再び一緒になるのです。この映画では、イエス様の働きということを表わしてはいませんが、人間だけの力だけでは成りえない何かを表わしていたように思いました。

 イエス様は、「わたしが愛したように【互いに】愛しあいなさい」と言われます。愛は一方通行だけの愛ではなく、互いに愛しあうものでなければならないのです。さらに、愛は一度だけ愛せばいいのではなく、愛し続けるということが大切なのです。そのため、特にヨハネ福音書やヨハネの手紙では、【愛】という言葉が何度も使われています。では愛し続けるためには、どうすればいいのでしょうか。イエス様は、「あなたたちはわたしの愛する者である。……わたしはあなたたちを『愛する者』と呼ぶ。」(15・14〜15)と言われます。この箇所の「あなたたち」というところに皆さまのお名前を入れて読まれると、もっと身近に響いて来ることでしょう。イエス様は、私たち一人ひとりを【愛する者】としてくださったのでした。今度は、私たちが隣人の中におられるイエス様に【愛する者】と声をかけてみてはいかがでしょうか、声をかけることが難しいようでしたら、行いをもって伝えてもいいかも知れません。

 そして、この【愛する者】同士の【愛】は、二人だけに留まることなく、隣人を通してまた別の隣人に広がって行くのではないでしょうか。パウロ手紙の中で「主があなたがたを互いの愛、そして、すべての人々への愛で満たし、あなたがたに対するわたしたちの愛ほどに、あなたがたの愛をみちあふれるものにしてくださいますように」(1テサロニケ3・12)と伝えています。イエス様の愛は、決して私たちの中だけに留まらないのです。イエス様の愛が私たちの中で満ち溢れることで、さらに、周りの人に広がって行くのです。それは、一人ひとりの中におられるイエス様がお働きになられるからです。私たちはイエス様が与えてくださった「わたしがあなたたちを愛したように、互いに愛し合う」という新しい掟をイエス様と一緒に行っていけば良いのではないでしょうか。