これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

みことばを伝えるという種

〈主の昇天〉マルコ16・15〜20

 
 いつか私たちは、子どもが親元を離れて自立し、新しい家庭を作ったり、師弟関係から独立するように巣立って行く時があります。しかし、独立したからといっても親子関係や師弟関係が無くなったと言うことではありません。

 きょうのみことばは、イエス様が天に昇られる場面です。そのためイエス様は、後に残る弟子たちのために使命を与え、それにともなう権能をお与えになられました。イエス様は、まず「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい。」と言われます。弟子たちは、このイエス様のことばに従って、至る所に福音を宣べ伝えに出かけて行きます。彼らの働きは、ユダヤ人社会の中では異端と見られたのです。同じユダヤ人からの迫害や、投獄などされました。それでも弟子たちは、ユダヤ人たちから迫害されればされるほど、主に対して感謝を捧げ、ますます福音を告げ知らせて行きました。使徒行録には「使徒たちは、み名のために、辱められるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。そして毎日、神殿や家々において教え、イエスがメシアであることを宣べ伝えてやまなかった」(使徒行録5・41〜42)と弟子たちの活動が記されています。

 弟子たちは、イエス様が彼らと生活されていたときのように、人々に対してみことばを教え、病人を癒し、洗礼を授けていきました。もちろん、彼らはすべてを完全にはできていなかったのではないでしょうか。ある弟子は、みことばを教えることが得意であったり、病人を癒すことが得意であったりと分かれていたのかも知れません。弟子たちの行いは、イエス様の宣教活動の一つひとつの働きだったのではないかと思われます。弟子たちは、師であるイエス様がなさったことを、それぞれの能力に応じて行っていたのではないでしょうか。

 パウロは、「わたしたち一人ひとりに、キリストから受けた賜物の種類に応じて恵みが与えられました。……そして、主は、使徒、預言者、福音宣教者、教師として牧者を与えてくださいました。それは、聖なる人々を奉仕の働きができるように準備し、キリストの体を築きあげるためです。」(エフェソ4・7〜12)と私たちに伝えています。いま、私たちはこのみことばと同じように、それぞれの場で、私たち一人ひとりの能力を使って、イエス様のみことばを伝えていけばいいのではないでしょうか。

 それは、ある人は医療に従事しながら人々を癒し、ある人は教師として人々を導き、ある人は農業を通して人々に日々の糧を与えるように、私たちは一人ひとりが能力に応じ、必要な力をいただきながら、イエス様から導かれていると言ってもいいでしょう。みことばは、「主は弟子たちとともに働き、しるしを伴わせて、弟子たちの言葉を確かなものとされた」とあります。このみことばは、私たちにとって勇気を与えてくださいます。イエス様は、私たちとともに働いてくださり、私たちの行いを確かなものとしてくださるのです。私たちは、このイエス様の働きに信頼して、手、足、口を、そして私たちの体をすべてイエス様のために、働かせるだけでいいのではないでしょうか。主の昇天のみことばを黙想しながら、師であるイエス様をもっと身近に感じながら、「至る所で福音を宣べ伝えて」いきたいものです。