井手口満修道士のこれって、どんな種?
不信仰から生まれる種
〈年間第14主日〉マルコ6・1〜6
イエス様がよく宣教される場所としてガリラヤ地方のカファルナウムという所があります。ここは交通の便もよく街も栄えていた所です。また、有名な会堂やペトロの姑を癒した場所でもあります(マルコ1・29〜31)。
前回見ました、ヤイロの娘や出血病を患った女性を癒された場所もおそらくこのカファルナウムではないかと思われます。この二人の癒しの奇跡は、二人の信仰によって行われたと言ってもいいでしょう。
さて、きょうのみことばの舞台となるイエス様の故郷ナザレは、カファルナウムからおよそ直線にして30キロほど離れたところです。現在なら来るまでおよそ一時間くらいの所ですが、当時は五、六時間ほどかかったのではないでしょうか。イエス様の噂はナザレにも届いていました。みことばでは、「……奇跡をさえ行う知恵を持っているとは」とナザレの人たちが話しています。イエス様は、ナザレの会堂で人々に教えられます。彼らは、「この人はどこからこういうことを授かったのだろう。奇跡をさえ行う知恵を持っているとは。彼は大工ではないか。……」と驚いて言います。この【彼は大工ではないか】という言葉は、大工のような手工労働者には知恵者はいない、という差別や偏見がこもった言い方でした。ナザレの人たちは、イエス様があまりにも身近な方であり、身内も自分達と一緒にいることから神の子としてのイエス様を理解しようとしていませんでした。
では、私たちは、イエス様をどのように理解しているのでしょうか。ナザレの人たちは、イエス様を身近に感じ過ぎて神の子として理解することができませんでした。イエス様は、今の時代でも私たちに対しても身近な方でおられます。しかし、私たちは、そのことに気がつくことができず、遠い存在のように理解したり、あまりにも特別な方と意識をして崇め立ててしまうということもあるのではないでしょうか。そのような私たちを見られたイエス様は、私たちの不信仰さに驚かれることでしょう。イエス様は、私たちに「あなたたちがわたしの内におり、そして、わたしがあなたたちの内にいることを、その日、あなたたちは悟るだろう」(ヨハネ14・20)お約束されておられます。
イエス様は、私たちといつも一緒におられ、私たちと共に歩いておられるのです。ただ、私たちは、そのことを理解していても信仰の弱さによって忘れてしまうことがあります。イエス様は、たとえ私たちがイエス様への信仰から離れてしまったとしてもご自分の所へ立ち返ることをいつも望んでおられます。大切なことは、私たちがイエス様から離れているということをしっかりと受け入れることではないかと思います。そして、そのことに気がついたとき、私たちは、さらにイエス様を本当の意味で身近に理解することができるのではないでしょうか。
パウロは、手紙の中で「ですから、キリストの力がわたしたちの内に宿るように、むしろ大いに喜んでわたしは自分の弱さを誇ることにします。……わたしは、弱っているときこそ、強いからです」(2コリント12・10)と伝えています。私たちは、たとえ、弱さから不信仰に陥るかも知れませんが、再び戻るお恵みもイエス様からいただいているのではないでしょうか。このことに信頼して私たちの信仰生活をイエス様と共に歩んで行きたいと思います。
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