これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

日ごとの聖体という種

〈年間第20主日〉ヨハネ6・51〜58

 
 イエス様が最後の晩餐を行った所の柱には、ペリカンが彫られてあります。ペリカンは、自分の子どもに母鳥の血を与えて育てると言われているからです。私たちも、母親からの母乳をもらって成長してきましたが、この母乳も母親の胎内から出される血液にちかいものだそうです。このように考えますと、私たちは、血によって養われていると言ってもいいかもしれません。

 きょうのみことばでイエス様は、「よくよくあなたたちに言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と言われます。イエス様が言われた「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」というみことばは、ユダヤ人たちにとっても弟子たちにとってもかなりショックなことばであったことでしょう。ユダヤ人たちが「この人は、どうして自分の肉をわたしたちに食べさせることができようか」と言っていますがまさに、彼らが言う疑問は、今の社会の人でも理解できないことばではないでしょうか。

 日本でのキリシタン時代においても、人々は「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」という言葉だけを聞き、この宗教は恐ろしい宗教だ、というように誤解した面があったようです。もちろん、今の日本の社会の中でこの部分だけをとって、言うのでしたら誤解を招き、変な宗教ではないか、と懸念されるかも知れません。

 しかし、私たちにとってこの箇所は、救いの言葉であり、ミサ聖祭の中で行われる【聖体拝領】という意味であると理解できます。私たちは、聖体をいただくことによって、イエス様から養われているのです。聖体は、私たちにとってイエス様のおん体でありおん血なのです。私たちは、聖体を口からいただき、体の中に吸収します。そして、私たちの体の一部となります。イエス様は、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内に留まり、わたしもその人の内に留まる」と言われています。私たちは、このみことばを信仰をもって理解することができます。

 また、イエス様は、私たちに【みことば】をくださいました。みことばは、聖体のように口には入ることはありませんが、私たちの心の糧となることができます。私たちは、聖体とみことばよって養われ成長して行くのです。このことは、イエス様を信じる私たちにとって、否定できないものです。イエス様は、私たちがご自分の肉と血を食することによって、私たちと一体となられ、信仰生活においても、また日常生活においても、私たちと共に歩まれておられるのです。言い換えれば、私たちがいただいた聖体を食することによって、イエス様全体と共に生活をしていると言ってもいいのではないでしょうか。

 このみことばを黙想しながら、聖体を拝領するということを意識したいものです。そして、そこから来る恵みに感謝し、ますますより良いイエス様との生活を祈り願いたいものです。