井手口満修道士のこれって、どんな種?
人々に仕えるという種
〈年間第25主日〉マルコ9・30〜37
今の社会はスピード社会であり、学力社会であり、競争社会と言っても良いでしょう。会社の中でも仕事ができる人、能力がある人が出世への道を進んで行きます。しかし、そのような流れから離れて暮らす社会もあるのではないでしょうか。
きょうのみことばの最初には、イエス様が弟子たちにご自分のことをお話されます。イエス様は弟子たちに「人の子は人々の手に渡され、殺される。しかし、人の子は殺されて三日の後に復活する」と話されました。ここで、イエス様は、【人の子(ご自分)は人々の手に渡され、殺される。】と弟子たちに話されておられますが、この人々の手に渡されるということは、いったい誰から【渡される】と言うのでしょうか。これは、ユダヤ人たちというよりも、おん父から、人々の手に渡されると言ってもいいでしょう。イエス様が、「人の子は人々の手に渡され、殺される。さらに、三日目に復活する」ということは、すべて、おん父のご計画だったのです。イエス様は、おん父のみ旨に忠実に従われ、そして、お仕えされたのでした。
みことばでは、「弟子たちはイエスの言われたことがわからなかったが、尋ねるのをはばかった」とあります。これは、イエス様のことをメシアと理解していても、彼らが思うメシアであったため、「人の子は人々の手に渡され、殺される。」ということを理解できなかったし、認めたくなかったのではないでしょうか。弟子たちは、それよりもイエス様がメシアになった後に、誰がいちばん偉いのかということを話し合っていました。イエス様は、そんな弟子たちのことをお解りになられ「第一の者になろうと望む者は、いちばん後の者となり、またみんなに仕える者とならなければならない」と言われます。イエス様は、まず、ご自分がおん父に仕える者となられました。それは、ご自分が人々の手に渡され、殺されることでした。
パウロは手紙の中で「キリストは神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、かえって自分をむなしくして、しもべの身となり、人間と同じようになった。」(フィリピ2・6〜7)と、イエス様が【しもべの身となり】と伝えています。イエス様は、おん父に仕え、さらに私たちに対しても、しもべとなって仕えてくださったのでした。
また、イエス様は、一人の幼な子を弟子たちのまん中に立たせ、その子を抱いて弟子たちに話されます。「わたしの名のゆえに、このような幼な子の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」と言われます。イエス様は、ご自分と幼な子を重ねて大人からの助けが無ければ何もできない、そんな幼な子の中にご自分がいるということを弟子たちに伝えられたのでした。
マルコは、この福音を通して、当時の教会の中で「誰がいちばん偉いのか」というようなことが、信者どうしの中で広まっていたのではないでしょうか。マルコは、イエス様が弟子たちに話されたことを伝えながら、キリスト者へのメッセージとしてこの箇所を伝えたのではないかと思われます。また、このことは、今の私たちにも当てはまることなのではないでしょうか。だれでも、出世欲や権力に対する欲というものが本能的にあるのかもしれません。会社の中では、派閥があり、その中で誰がリーダーなのかということに敏感になっています。教会の中にもそのようなことに敏感な方がおられるのかもしれません。また、権力でなくても人から良く見られたいという方もおられることとでしょう。
そのような欲があることは、イエス様といつも接していた弟子たちでさえ持っていたことですから仕方がないことです。それで、イエス様は、そんな私たちに対して、「第一の者になろうと望む者は、いちばん後の者となり、またみんなに仕える者とならなければならない」と教えられ、さらに、「わたしの名のゆえに、このような幼な子の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」と言われたのでした。
このような生き方は、社会と逆行していると言ってもいいでしょう。しかし、誰もが人よりも先に行こうと思っている社会では、争いやねたみ、陥れなどが起こってくるのではないでしょうか。しかし、イエス様の教えに従うと、争いやねたみよりも平安や思いやり、慈しみ奉仕の心が生まれてくるのではないでしょうか。まず、私たちは、イエス様が言われるように、いちばん後になり、小さな人、弱い人に対して仕える者となることから始めてみてはいかがでしょうか。パウロは、「わたしたちすべてのために、ご自分の子をさえ惜しまずに死に渡された神が、どうして、おん子に添えてすべてわたしたちにくださらないことがありましょうか。」(ローマ8・32)と伝えています。おん父は、私たちが人々に仕えるときに必要なものをくださるのです。私たちは、みことばを黙想しながらイエス様に仕えるように周りの人に仕えることができますように祈ってまいりましょう。
HOME
HOME
バックナンバーへ