井手口満修道士のこれって、どんな種?
気をつけなさいという種
〈年間第33主日〉マルコ13・24~32
私たちは、【世の終わり】についてどのように考えたらいいのでしょう。以前に、マスコミで「ノストラダムスの予言」についての記事が取り上げられたことがあります。その中では、「1999年に人類が滅亡」というようなこともあったような気がします。この【世の終わり】というような終末の考えは、今に始まったことではないようです。
きょうのみことばであるマルコ福音書の13章は、【小黙示録】と言われ【終末】について書かれています。弟子たちは、イエス様に「これらのことはいつ起こるのですか。また、これらのことがすべて成就されようとするとき、どんなしるしがありますか。話してください」。(マルコ13・4)と質問します。その答えとして、きょうの箇所がイエス様から伝えられています。
きょうの箇所の1節前にイエス様は、「……だから、【気をつけなさい。】わたしはこれらいっさいのことを、あなたたちに前もって言っておく。」と言われています。旧約の中に出てくる天変地異の箇所をイエス様は用いて、「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるであろう」と言われます。このことで、弟子たちは、旧約からの伝えられている通りになる、ということを改めて気がついたのかも知れません。また、このような天変地異になる前に、イエス様は、偽預言者や偽メシアが現れるということも弟子たちに伝えられました。さらにイエス様は、「そのとき、人々は人の子が大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来るのを見るであろう」と言われます。この節の「人の子」というのは、イエス様のことで、【雲】は、神の場所、神聖な場所という意味です。
終末でのイエス様の再臨は、イエス様を信じない人には、不安と恐怖に包まれたことでしょうが、イエス様を信じている人たちにとっては、希望であり、喜びとなったことでしょう。イエス様は、天使たちが「選ばれた人々を地のはてから天のはてまで、四方から集める」と言われます。イエス様は、イスラエルの人たちだけの救いではなく、全世界の人々の救いを、天使にお任せになられています。それは、私たちもその一人となるということです。
次にイエス様は、誰でも知っている【いちじく】の成長を例に用いて【終末】というものは、自然の摂理のように行なわれるということを伝えられます。いちじくは、夏が収穫の時期でした。イエス様は、農夫が夏になっていちじくを収穫するように、おん父が集められた人たちを裁かれると言われます。イエス様は、「人の子が戸口に近づいていることを知りなさい」と言われます。ヨハネの黙示録の中も同じように、「わたしは戸口に立っている。もし、だれかがわたしの声を聞いて戸を開くならば、わたしは彼のもとに入って食事をし……」(黙示録3・20)という箇所があります。このように、【終末】の時には、イエス様が私たち一人ひとりの所に来られ、私たちがイエス様を受け入れることで、私たちが天のおん父との栄光の中に入ることができる、ということになるのではないでしょうか。
私たちは、【終末】ということを思い描く時に不安や恐怖ということではなく、むしろ、イエス様との平安であり、喜びと、思っていいでしょう。もちろん、イエス様が言われるように、多くの苦しみを経験することも避けることはできません。しかし、イエス様は、私たちを救われるために自ら十字架の死を通して、復活の栄光にお入りになられました。おん父との栄光に入るためには、私たちも同じように、苦しみを通らなければいけないと言ってもいいでしょう。
イエス様は、「わたしのことばは過ぎ去ることはない」と言われます。イエス様は、ご自分のことば、教えはいつまでも残るということを伝えられます。この【ことば】という中に、イエス様ご自身も含まれているのではないでしょうか。ヨハネ福音書には、「み言葉は神であった。」(ヨハネ1・1)とあります。このように考えることができると、イエス様は、ご自分のことばの永遠性を伝えるとともに、ご自分も永遠に私たちとともにおられるということを伝えておられるようです。
さて、私たちは、洗礼によってイエス様を信じ、イエス様に倣う者として生活をしています。イエス様は、救いの時である終末を待つ私たちに「気をつけなさい」と言われます。きょうの箇所の1節後にも、「気をつけて目覚めていなさい」とあります。私たちは、弱くて、罪深い者です。私は大丈夫、と自信をもって言える人は、誰一人いません。そのような私たちのことを、イエス様はご存知でした。イエス様は、私たちを怖がらせ、不安がらせるためにこのこのみことばを伝えられていません。イエス様は、私たちが【終末】の時に、おん父と共に栄光に入ることができるように、「気をつけなさい」と言われているのです。私たちは、弱くて罪人であるということを受け入れながら、それ以上に大きな愛のお方であるイエス様に信頼し委ねながら、イエス様の呼びかけに心を開いて行けばいいのではないでしょか。
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