井手口満修道士のこれって、どんな種?
真理という種
〈王であるキリスト〉ヨハネ18・33b〜37
私たちは、【真理】という単語を意識しないと耳にするのではありませんが、大切な言葉です。【真理】という単語を辞書で調べますと、「いつでも、どこでも、また、誰でもが認める普遍妥当性を持った知識」とあります。新約聖書では、「イエス・キリストを中心とした完全な啓示」という意味になるようです。また、ヨハネによれば、おん父の言葉を意味します。イエス様は、おん父に対しての祈りの中で「わたしがこの世に属していないように、彼らも属していないのです。【真理】によって、彼らを聖なるものとしてください。あなたの言葉は【真理】です。」(ヨハネ17・17)と言われています。「【真理】は、おん父を啓示するみことばであって、イエス・キリストのうちに現存し、聖霊によって明らかにされる。」(聖書思想事典/三省堂、参照)とあります。
さて、きょうのみことばは、ユダヤ人たちがイエスをピラトに引き渡したところから始まります。ユダヤはローマ帝国の属国として支配されていました。そのため、ユダヤ人たちには、裁判権はありますが、死刑という判決をすることができませんでした。ユダヤ人たちは、イエス様をピラトに引き渡すことで、イエス様を裁判する前から死刑にしようとしていたのでした。
しかし、ピラトにとっては、罪がないイエス様を死刑を前提として裁判をしなければいけないという、まったく迷惑な話です。ピラトは、イエス様に「お前がユダヤ人の王なのか」と尋ねました。ピラトの関心は、ユダヤ人が訴えている宗教上の問題など関係がなかったのでした。ただ、ユダヤ地方に置けるローマの支配に支障をきたすことには敏感だったようです。イエス様はピラトに対してご自分が王ということお答えにはなりません。それで、ピラトは「お前はいったい何をしたのか」と尋ねます。イエス様は、ピラトの問いに対して「わたしの国は、この世に属していない。わたしの国がこの世に属していたなら、わたしがユダヤ人の手に引き渡されないように部下が戦ったことであろう。」とお答えになられたのでした。イエス様は、ピラトへの答えに「【わたしの国】は、この世に属していない。」ということばを2度もお使いになられます。ピラトは、イエス様がどのような意味で【わたしの国】と使われたのか理解できませんでした。イエス様が言われた【わたしの国】というのは、おん父のみ国であり、平安と愛で満ちた国でした。しかし、ピラトがいう【国】とは、自分が治めているローマ帝国の属国である、ユダヤであり、富と権力への執着としての国のことを考えていました。
それで、ピラトは「では、お前はやはり、王なのか」と言います。イエス様は「……わたしは、真理について証しするために生まれ、また、そのために世に来た。真理に属している人は皆、わたしの声に耳を傾ける」とお答えになられます。ヨハネ福音書では、この箇所と同じようなことを「しかし、み言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。彼らは、血によってではなく、人間の意識によってでもなく、男の意思によってでもなく、神によって生まれた。……独り子は、恵みと真理に満ちていた」。(ヨハネ1・12〜14)また、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通ってでなければ、だれも父のもとに行くことはできない」(ヨハネ14・6)と伝えています。
私たちは、洗礼を受け、信仰生活を通して、おん父と一体であり【真理】であるイエス様に従い、イエス様の声に耳を傾けて行こうとしています。私たちは、このみことばを黙想しながら、きょうの典礼である【王であるキリスト】を礼拝し、イエス様が治める国に入ることができるように祈り願いたいものです。
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