井手口満修道士のこれって、どんな種?
人の子を迎える準備という種
〈待降節第1主日〉ルカ21・25〜28、34〜36
漢字で、慌てるという字は、【心】が【荒(あ)れる】と書きます。同じように忙しいも【心】が【亡(な)くなる】と書きます。このような漢字は、人の心の状態をよく表しているような気がいたします。
きょうのみことばは、ルカ福音の中で天変地異が描写され、イエス様の来臨を示している箇所です。みことばは、イエス様の来臨の印として、「日と月と星とにしるしが現われ、地上では、海はさかまき荒れ狂うので、国々の民たちはあわてふためく。人々はこの世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさと不安のあまり気を失うだろう」と伝えています。さらに、みことばは、このような、天変地異の後に「人の子が力と大いなる栄光とを帯びて、雲に乗って来るのを見るであろう」と続きます。
きょうの典礼は、ルカ福音書のキリストの来臨の箇所がキリストの降誕の準備として用いられています。私たちは、地震や大雨などの自然災害に対して無力です。人類の長い歴史の中で私たちは、これらの災害の痛みや悲しみを経験してきています。ルカが福音書を書いた時代にもこのような様々な災害が起こっていたのではないでしょうか。その度に人々は、【この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさと不安のあまり気を失って】いたことでしょう。ルカは、このようなことが起こった後に、「人の子が力と大いなる栄光とを帯びて、雲に乗って来るのを見るであろう」と伝えています。このとは、私たちにとって、人の力では無力と思われるような状態でも、人の子が来臨されるという【希望】を持ちなさいということを言っているような気がいたします。イエス様の来臨は、私たちが無力であると感じる時に、【力と大いなる栄光】による恵みを私たちに注がれるということではないでしょうか。イエス様は、【雲】に乗って私たちの所へ来られます。雲は聖書の中で神聖な場所として用いられています。イエス様は、罪深い私たちのところに神聖な雲に乗って来られるのです。
私たちの生活の中では、様々な問題や事件が起こっています。このような状態において、あきらめて自暴自棄になったり、また、落ち込んだりするのではなく、イエス様がなんとかしてくださるという【希望】を忘れないように、【頭をあげなさい】【……注しなさい】【いつも目覚めていなさい】と伝えているのではないでしょうか。もし、私たちの心の中が慌てた状態では、よい判断ができずにますます問題が生じてきます。どのようなことが起きていてもいつも落ち着いた心を保ちながら、日常の生活を営む事の大切さを伝えているようです。そして、大切な事は、「起ころうとしているこれらすべての事から逃れ、人の子の前に立つ力が与えられるように【祈る】こと」と言ってもいいでしょう。みことばは、人の力では、どうしようもない問題に対して戦うのではなく受け入れ、人のこの前に立つ力が与えられるように【祈る】ことを教えているようです。
イエス様は、いつおいでになるか解りません。ただ、いつおいでになっても良いように準備をしておかなければ行けないのです。パウロは、「あなたがたは、今どんな時であるか知っているのですから、ことはなおさら重大です。……酒盛りで大騒ぎしたり、酔いつぶれたり、みだらな行いにふけったり、身を持ち崩したり、ねたんだりすることなく、日中歩くように、慎み深く生活しましょう。」(ローマ13・11〜14)と言っています。
さらに、「人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい」という一節は、イエス様が私たちに、励みを与えてくださるみことばなのではないでしょうか。私たちは、イエス様の前に立つために力が必要だとはあまり意識しません。しかし、イエス様は、「人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい。」と言われます。このみことばの中には、自分の弱さ、罪深さを知っている人へのイエス様からの愛のメッセージがあるのではないでしょうか。イエス様は、健康な人、強い人のためにお生まれになられるのでなく、弱い人、罪深い人を救うために来られたのです。しかし、自分が罪深いことを知っている人は、なかなかイエス様の前に行きにくいものです。イエス様は、このような人のことをよくご存知でした。それで、イエス様は、「人の子の前に立つ力が与えられるように祈りなさい。」と言われたのではないでしょうか。イエス様のご降誕を待つ準備として、私たちの罪を見つめ、回心する事ができますように、イエス様との関係が修復できますようにと、祈っていきたいものです。
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