主の平安という種 - これって、どんな種?

井手口満修道士のこれって、どんな種?

主の平安という種

〈待降節第4主日〉ルカ1・39〜45


 洗礼を受けている人は、手紙の文頭に「主の平安」と書くことがあります。それは、その手紙を読む相手に「【主の平安】が注がれますように」という意味が込められているのではないでしょうか。そしてその手紙が、読む人にとって良い知らせ(福音)となることを願っていると言ってもいいでしょう。

 また、「主の平安」と書く代わりに「シャローム」と書くことがあります。「シャローム」はヘブライ語で「こんにちは」という挨拶として用いられると同時に「平安」という意味として用いられます。

 さて、きょうのみことばは、大天使ガブリエルがマリア様のところへ神様から遣わされて「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その名をイエスとつけなさい。……それゆえ、お生まれになる子は聖なる者で、神の子と呼ばれます。あなたの親戚エリザベツも、年寄りでありながら男の子を身ごもっています。不妊の女と言われていたのに、はや6か月になっています。神には、何一つおできにならないものはないからです」(ルカ1・31〜37)というお告げを受けた後の場面です。

 マリア様は、この天使の言葉を聞き、急いでエリザベツがいるユダへの旅に出ます。みことばでは、「マリアは旅立ち、急いで山地に向かい、ユダの、ある町に行った。」という一節で表されています。マリア様が出発されたナザレからユダまで約80〜100キロメートルあります。さらに、平地ではなく山地や荒れ地を通ってエリザベツの所まで訪ねて行くのです。この距離は、東京から直線で宇都宮や前橋、富士あたりまでの距離です。イスラエルは日本の九州より少し大きな国と考えていいでしょう。そうしますと、福岡市内から八代あたりまでくらいでしょうか。この距離を14歳〜16歳くらいのマリア様は、エリザベツを訪ねて旅立たれたのです。この旅は、マリア様にとっていかに大変だったかが分かるのではないでしょうか。

 マリア様は、ご自分の中に起こったことと、エリザベツの身に起こったことを確かめ合いたいという気持ち、一人の少女としての不安など様々な気持ちや思いが交差する中での旅立ったのではないでしょうか。そして、マリア様は、エリザベツに会って「シャローム」とあいさつをしたのでした。この一つのあいさつの一言には、マリア様の深い気持ちが込められた言葉と言ってもいいでしょう。マリア様の【あいさつ】を聞いたエリザベツは、自分の胎内の子がおどるのを感じ、聖霊に満たされます。彼女の様子からも、マリア様の「シャローム」という挨拶が、私たちが普段かわしている挨拶と違い、いかに意味が深いかということが分かるのではないでしょうか。

 エリザベツは、聖霊に満たされ、マリア様を称えて声高らかに「……わが主のおん母がわたくしのところにおいでくださるとは、いったい、どうしたことでしょう。……」と叫びます。この【わが主のおん母が】という言葉の【主】ということばを【神】と置き換えてみてください。そうしますと「わが神のおん母が」となります。この言葉は、マリア様の天使からのお告げでイスラエルの民にようやく救い主が訪れたことを意味していることが分かるのではないでしょうか。さらにエリザベツは「あなたのあいさつの声が、わたくしの耳に入ったとき、胎内のわが子が喜んでおどりました。」と続けます。彼女自身もマリア様と同じように天使のお告げを受けて身ごもったのです。そのために、同じ聖霊に満たされた方として喜びあったのかも知れません。

 そして最後に、彼女は「主から自分に告げられたことが成就すると信じたかたはほんとうにお幸せなことです」と結びます。イスラエルの民は、アブラハムからイエス様に至まで、四六代(マタイ1・17)という長い歴史があります。その長い歴史は、救い主を待ち望んだ歴史と言ってもいいでしょう。イスラエルの人々は、いつ来られるのか分からない救い主を待ち続けていました。マリア様も待ち続けていた一人だったのです。おん父はその救いのご計画をマリア様ものもとに天使を遣わして告げられたのでした。マリア様は、天使からのお告げに対して最初は、「わたくしは男の人を知りませんのに」と驚かれますが、最後には「わたくしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」とお答えになります。マリア様は、ようやく【救い主】がご自分の体を使ってお生まれになることを感じたのでしょう。そこには、マリア様の信仰があったからではないでしょうか。エリザベツの最後の叫びは、待ちわびた【救い主】が来られることを信じ続けた方、マリア様の信仰を称えた言葉だったと言ってもいいでしょう。

 私たちは、心から救い主であるイエス様がお生まれになられるということを信仰をもって信じることが大切なのです。今の社会の中でクリスマスは、華やかさだけが強調されています。しかし、そのような社会の中にあって私たちがイエス様のご誕生を待ち望むことは、私たち一人ひとりがイエス様の証し人となることができるのではないでしょうか。そして、それと同時に私たち一人ひとりがマリア様のように、隣人に対して【主の平安】【シャローム】を伝えるとき、そこに救い主イエス様がお生まれになるのではないでしょうか。

 どうぞ、皆さまよいクリスマスをお迎えください。