井手口満修道士のこれって、どんな種?
イエス様の生き方を歩むという種
〈年間第3主日〉ヨハネ2・1〜12
私たちは、人によっていろいろな趣味を持っています。たとえば、野球、映画鑑賞、ゴルフ、楽器、囲碁、園芸、釣り、などさまざまな趣味があります。そして、その人たちは、それらの趣味に関するさまざまな知識や情報に興味を持っているのではないでしょうか。
さて、きょうの福音は、ルカの序文にあたる箇所と、イエス様が公に初めてご自分の活動をされた箇所です。ルカは、最初にこれから自分が伝えようとするイエス様の福音についての内容を、人々に示しています。それらは、イエス様の誕生から公生活、受難と死、そして復活にいたるまで、順序立て、詳しく調べて書こうとしているのです。
ルカは、さらにイエス様が、どのような宣教のスタイルで人々に福音を伝えるかを示しています。まず、イエス様は、聖霊に満たされて、人々の生活の中心である【会堂】でみことばを宣べ伝えられます。みことばは、「イエスは、お育ちになったナザレに行き、安息日にいつものとおりに会堂に入りになった」とあります。イエス様は、ご自分がどのような宣教をされるかを、ご自分の故郷であるナザレの会堂でお話になられます。イエス様は渡されたイザヤ書から、ご自分のことを書かれたところを朗読されます。それらは、イエス様が、聖霊に満たされ、おん父から油を注がれた者メシアであること、おん父がご自分を遣わしになられ、どのようにして福音を伝えていくかということを書いている箇所でした。
イエス様の宣教のスタイルは、「貧しい者に良いおとずれを伝え、捕われびとに釈放を、盲人に視力の回復を告げ、おさえられている者に自由を与え、主の恵みの年を告げ知らせるためである」というものでした。イエス様の宣教は、貧しい人が豊かさを求め、救いを求めているところに良いおとずれである福音伝え、様々な誘惑や生活の中でのしがらみにとらわれている人を解放し、自分の生活、未来が見えない人に光を与え、権力や政治、律法から来る圧力から自由を与えることでした。イエス様の宣教は、このイザヤ書を読んだことによって公に始まったと言ってもいいでしょう。
さて、私たちは、イエス様に出会って、イエス様の恵みに満たされて洗礼を受けました。私たちは、信仰生活を送る中でイエス様のことをもっと知る必要があるのではないでしょうか。ルカは、みことばの中で「……、わたくしもまた、すべての事を初めから詳しく調べましたので……」と伝えています。私たちは、ルカがここで伝えているようにイエス様の事を知るために、もっと祈り、みことばに耳を傾け、イエス様が行なったような宣教をしなければならないのではないでしょうか。
私たちは、子どもの頃、テレビや漫画などのヒーローに憧れたことがあったのではないでしょうか。そして、そのヒーローになりきって「○○ごっこ」をした記憶があるのことでしょう。今の私たちのヒーローはイエス様と言ってもいいでしょう。もし、そうであれば少しでもイエス様がなされた業を行なってもいいのではないでしょうか。私たちがイエス様のように生きるときには、パウロが手紙の中で伝えているように「生きているのは、もはやわたしではなく、キリストこそわたしたちのうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2・20)のような生き方となることでしょう。
きょうのみことばを黙想しながら、私たちがイエス様の生き方に惹かれ、イエス様の生き方を自分の生き方とすることができるように、恵みをいただくことができるように祈って行きたいものです。
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