悔い改めの実という種 - これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

悔い改めの実という種

〈四旬節第3主日〉ルカ13・1〜9


 今、私たちは、教会の典礼の中で【四旬節】を送っています。この間は、各教会の中で【共同回心式】をされている教会があることでしょう。また、共同回心式ではなくても、個人的に【ゆるしの秘跡】を受けている方もおられることと思います。四旬節の一つのテーマとして【回心】ということがあるような気がいたします。

 きょうのみことばは、この【回心】、【悔い改め】ということについて、私たちに伝えている箇所と言ってもいいでしょう。イエス様の所に人々が集まり、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、その血が、彼らのいけにえの血と混じったことを告げます。このことは、ピラトによるガリラヤ人たちへの殺害事件が起こったということ告げているようです。そして、人々は、ここで犠牲になった人々が、他の人に比べて罪深い者であったと思っているのでした。それに対して、イエス様は、「そうではない。わたしは言っておく。あなたがたも悔い改めないと、皆同じように滅びる」と言われます。また、今度は、シロアムの塔が倒れ、おしつぶされて犠牲者が出た、ということも人々はイエス様に伝えたのでしょう。そのことに対してもイエス様は、「死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいる他のすべての人々よりもとがの負い目があったと思うのか。【あなたがたに言っておく。そうではない。あなたがたも、もし悔い改めなければ、皆同じように滅びる】」と前回のガリラヤ人の犠牲者が出た時と同じように人々に伝えました。

 ユダヤ人たちは、事件や災害、また事故などで人々が犠牲になった場合、その人たちが、生前に何か罪を犯したためという、犠牲を罪の原因という因果関係のようにとらえていました。しかし、イエス様は、彼らに対して「【そうではない。わたしは言っておく。あなたがたも悔い改めないと、皆同じように滅びる】」と言います。イエス様は、ユダヤ人たちが【自分たちは犠牲になった人のように罪人ではない】という偽善的な態度に対して注意をしているのです。

 このことは、私たちにも一つの反省の材料になるのではないでしょうか。私たちは、ときどき、人の失敗や都合が悪いことに対して、まるで鬼の首を取ったように非難することがあります。しかし、自分自身を振り返ったとき、人を非難するほど自分は正しいのでしょうか。私たちは、「自分のことは棚に上げて……」というようなことを耳にするし、相手に対して使ったことがあるのではないでしょうか。イエス様は、そんな私たちに対して「もし、悔いら改めなければ、皆同じように滅びる」と言われているのかもしれません。

 次に、イエス様は、実がならないいちじくの木のたとえばなしをされます。みことばは、ぶどう園にいちじくの木を植えていたと伝えています。しかし、そのいちじくの木は、もう実が実ってもおかしくない年月がたっているにも関わらず、実を付ける様子がありません。そのために、ぶどう園の主人は、「このいちじくの実を捜しに来ているのに、一つも見当たらない。切り倒しなさい。なぜ、土地を無駄に使っているのか」と園の番人に言います。ここで、注意をしなければいけない点は、主人自らいちじくの実を捜しに来られた、ということです。この主人は、おん父ではないでしょうか。みことばは、イスラエルの民を【いちじく】というたとえを使って、おん父ご自身からイスラエルの民のことを気にかけているということを伝えます。しかし、みことばは、実を付けないいちじくの木、つまり悔い改めようとしないイスラエルに対して、おん父が「切り倒しなさい。なぜ、土地を無駄に使っているのか」と厳しく注意されていることを伝えます。

 私たちは、このみことばを黙想する時に、自分自身の心を反省しなければならないかもしれません。おん父は、私たちに対して完全な善人になるように勧めているのではないのです。おん父は、私たちが【悔い改める】ようにいつも私たちに対して呼びかけておられるのです。私たちは、注意をしていても罪を犯してしまう弱い者です。おん父は、私たちの罪をご存知ですからそのことについて厳しい注意はされていません、そうではなく、罪深い者であることに気がつかないつという傲慢な気持ちに対して厳しく注意されておられるのです。

 このような、おん父の厳しい注意に対して、園の番人であるイエス様は、「ご主人さま、今年もう一年、このままにしておいてください。木の周りを掘って肥料をやってみます。」と言われます。イエス様は、なかなか悔い改めないイスラエルの民に対して、もう少し待ってください、私がもう少し彼らに恵みと慈しみを注いでみますから、と言っておられます。私たちは、このみことばのように、イエス様から悔い改めの呼びかけとともに、多くの恵みと慈しみを溢れるほどいただいているのです。

 私たちは、【ゆるしの秘跡】を受けるために、自分の心の中を静かに見つめることでしょう。私たちは、【ゆるしの秘跡】を受けるたびに、同じような罪を伝えていることに落胆して、ゆるしの秘跡から遠ざかり、秘跡の恵みを無駄にしてしまうという危険性に陥ることがあるかもしれません。イエス様は、私たちの弱さも、罪もご存知です。それでも、イエス様は「今年もう一年、このままにしておいてください。木の周りに肥料をやってみます」というように、私たちがもう一度おん父の方に向かうように恵みをくださっておられるのです。私たちは、そのような忍耐深く、憐れみ深いイエス様に信頼して、【悔い改めの実】を結ぶことができるように祈っていきたいものです。