他の何ものよりも価値があるという種 - これって、どんな種?

HOME > コラム > これって、どんな種? > バックナンバー > 他の何ものよりも価値があるという種

井手口満修道士のこれって、どんな種?

他の何ものよりも価値があるという種

〈復活第4主日〉ヨハネ10・27〜30


 ある神父様が私に「ブラザーあなたは、神様から呼ばれてこの召命をいただいたのです。だから、もっと『私をさまざまな誘惑から守ってください。』と願ってもいいのです。」と言われたことがあります。また、別の方からは、「医者や弁護士や教師……などの職業は、ある程度の努力と本人の希望があれば、それぞれの思った目標の資格は取ることができます。しかし、司祭や修道者はいくら本人が努力しても神様が呼んでいなかったらなることができないのですね」と言われたこともあります。

 確かに、司祭や修道者の召命は、自分の学力や努力だけでなることはできません。また、神学校や修道院に入っても、司祭や修道者になることができる人も少ないということも事実です。司祭や修道者の召命は、神様からの呼びかけとそれに応えようとする気持ちが合って初めて生まれると言ってもいいでしょう。

 きょうのみことばは、羊のたとえを用いて、イエス様の声を聞き分けて、呼びかけに着いて行った人たちのことを語られている場面です。みことばの中でイエス様は、ご自分のところに付いて来た人たちのことを【羊】というように呼ばれています。この羊は、イエス様が呼ばれる声を聞き分けてイエス様の所に付いて行きます。どうして彼らは、ユダヤ人たちの指導者の所に行かず、イエス様の呼びかけに応えて行ったのでしょうか。それは彼らが、ユダヤ人社会の中に入ることができない人たちだったからです。彼らの多くは、貧しさのために働かなければならず安息日を守ることができない人、病人ややもめ、それに、徴税人など、弱い立場の人たちで、ユダヤ人たちから【罪人】というレッテルを貼られていた人たちでした。

 彼らは、イエス様の所に行って、自分たちの苦しみを癒していただきます。また、彼らは他の律法学者やファリサイ派の人たちと違ってイエス様な教えに権威をも感じていました。そして、イエス様こそ【メシア】であることを知っていたのではないでしょうか。みことばの中でイエス様は、ご自分の所に付いて来た人たちに【永遠の命】を与えることをお約束され、それだけではなく、彼らが敵から奪われないように守ってくださるということをお約束されたのでした。

 さらにみことばは、「父がわたしにくださったものは、他の何ものよりも価値があり、だれもそれを父の手から奪い去ることはできない」と伝えています。さて、ここで注目したいことは、イエス様の声を聞き分けてイエス様に付いて行った羊である私たちは、実は、おん父がイエス様の所に連れて来られていたということです。私たちは、イエス様の声に聞き従って【洗礼】のお恵みをいただいています。その私たちのことを、イエス様は「父がわたしにくださったものは、他の何ものよりも価値があり、だれもそれを父の手から奪い去ることはできない」」と言われてくださっておられるのです。イエス様は、私たちがお金持ちだから、権力があるから、能力に長けているからなどの理由から、お選びになっておられません。そうではなく、イエス様は、私たちの弱さ、貧しさ、罪深さなど全てをご存知の上でお呼びになり、私たち一人ひとりを「【父がわたしにくださったものは、他の何ものよりも価値があり、だれもそれを父の手から奪い去ることはできない】」と言われておられるのです。

 パウロは、「母の胎内にあるときからわたしを選び分け、恵みをもって召し出してくださったかたが、……」(ガラテヤ1・15)と手紙の中で言っています。私たちの洗礼は、私たちが望んで受けたように思われますが、パウロのように、最初からおん父のご計画の中に入っていたのではないでしょうか。おん父から選ばれ、イエス様の呼びかけに応えた私たちは、さまざまな誘惑や苦しみにあったとしても、イエス様やおん父が守ってくださり、永遠の命へと導いてくださいます。

 きょうのみことばを黙想しながら、今一度私たちがいただいた【洗礼】のお恵みに目を留めてみたいと思います。そして、私たちを選ばれ、【洗礼】のお恵みをくださったおん父、そして、イエス様に感謝を捧げるとともに、これからの道を一歩、一歩、歩んで行くことができるように祈っていきたいものです。