イエス様の証人となる種 - これって、どんな種?

HOME > コラム > これって、どんな種? > バックナンバー > イエス様の証人となる種

井手口満修道士のこれって、どんな種?

イエス様の証人となる種

〈主の昇天〉ルカ24・46〜53


 いろいろな仕事を行なう時に、「仕事は段取り八分」という言葉があります。仕事をうまくこなす人は、それなりに段取りをしっかりしている人が多いようです。

 さて、きょうのみことばは、イエス様が復活後にいよいよ弟子たちを地上に残して、天に昇られる【主の昇天】の場面です。イエス様は、弟子たちを集めて旧約聖書全般でご自身のことについて書かれた言葉を彼らに伝えます。ただ、その前にみことばは、「聖書を悟らせるために弟子たちの心を開いて」(ルカ24・45)と書かれています。この、一節は、きょうのみことばの箇所には、書かれていませんが、大変重要の箇所ではないかと思われます。それは、これからイエス様が弟子たちに最後に伝える大切な言葉を言われるからです。

 イエス様は、「メシアは【苦しみを受け】、三日目に死者のうちから【復活し】、その名によって【罪のゆるしを得させる悔い改め】が、エルサレムから始まり、【すべての民に宣べ伝えられる】」と弟子たちに伝えられます。これは、イエス様が弟子たちと共に生活され、最後におん父のみ旨を忠実になされたことです。また、イエス様の全生涯をかけてなされてきたことでした。イエス様は、これらのことを弟子たちに語られ、彼らにこれらのことの【証人】となるようにと伝えられます。イエス様のこの言葉は、私たち一人ひとりに対しても伝えられているのです。私たちは、洗礼のお恵みをいただき、イエス様のみことばを人々に伝えるという使命を与えられています。特に、私たちは、イエス様が復活され、私たちの罪を償ってくださっているという最大の【愛】の業について人々に、【証人】とならなければならないのです。

 このように、私たちはイエス様から大変重要な、使命をいただいているのですが、残念ながら、私たち一人の力では、この使命を行なうことはできません。イエス様は、そのために、「わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたたちに送る。」と言われます。この【わたしの父が約束されたもの】というのは、聖霊です。私たちは、自分たちの力では、不可能とも言えるイエス様の【証人】となる使命を、聖霊の働きで可能にすることができるのです。さらに、イエス様は、弟子たちに「だから、あなたたちは、この天よりの力(聖霊)に包まれるまでは、都に留まっていなさい」と伝えます。これは、聖霊を待つという意味もありますが、聖霊の力を私たちの中に【充満】させるためではないでしょうか。私たちは、どんなに高級車でもガソリンがないと動かない、ということを知っています。私たちにとって、【聖霊の力】は、ガソリンと言ってもいいでしょう。

 イエス様は、これらのことを弟子たちに伝えた後、彼らをベタニアに連れて行かれ、彼らを祝福されます。イエス様は、どのような気持ちで弟子たちを祝福されたのでしょうか。イエス様は、弟子たちと別れても、彼らが自立できるように願いを込められたのでしょうか? 弟子たちにご自分がいなくなっても大丈夫なように恵みを注がれたのでしょうか? イエス様は、さまざまな思いで、弟子たちに祝福を注がれたことでしょう。これらの祝福は、私たちがミサの終わりにいただく【派遣の祝福】や、ゆるしの秘跡で最後にいただく【祝福】と共通するものではないでしょうか。私たちは、これらの【祝福】によってイエス様から大きな力をいただくことができることを知っています。

 イエス様は、祝福の後に彼らから離れて、天に上げられて行かれます。これから弟子たちは、今までのように肉眼でイエス様を見ることができません。それでも、弟子たちは、イエス様との別れに悲しむのではなく、「非常に喜びをもってエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」ようです。彼らは、もう以前のような「ユダヤ人たちを恐れて、自分たちがいた場所のどの戸にも鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちではありませんでした。それよりもむしろ「福音を宣べ伝えないなら、わたしにとってわざわいです」(1コリント9・16)というような勢いではないでしょうか。

 私たちは、【主の昇天】の典礼を祝い、弟子たちがいただいた同じイエス様の証人となる【使命】をいただきました。私たちは、この使命を忠実に遂行できるように【聖霊】のお恵みをおん父に願い求めたいものです。そして、このことが、最高の【段取り】と言ってもいいと思います。私たちは、ミサの中で司祭からの祝福をいただき、イエス様のみことばの【証人】となるよう恵みを願っていきたいものです。