井手口満修道士のこれって、どんな種?
イエス様に従う心構えという種
〈年間第13主日〉ルカ9・51〜62
今度、私たちの修道会に一人の青年が入会いたします。志願者の入会は、今年になって二人目です。これまで、何年もの間新しい召命が芽生えることが無かった私たちにとって、とても喜ばしい出来事です。彼らは、もちろん志願者として入会するためにいろいろな不安や問題があったことでしょう。それでも、ご両親や主任神父様の応援を得て、私たちの会を選んだということに、神様のご計画を感じます。
さて、きょうのみことばは、イエス様がエルサレムに旅立たれること、そして、ご自分に付いて来るために必要な心構えを伝えています。イエス様は、おん父のご計画である、十字架上での死を受け入れるため、また、それによって私たちの罪を救ってくださるためにエルサレムに向かって出発する決心をされます。イエス様たちは、あるサマリアの町に入られるとき、前もって人を送って宿泊所を確保しようとしますが、サマリアの人たちは、イエス様たちユダヤ人が自分たちの町に宿泊することを拒んだのでした。この箇所は、宗教上の理由から敵対する人たちが町を通るために、サマリア人がイエス様を拒んだとも考えられます。さらに、おん父のご計画に従ってエルサレムに向かうイエス様の行いを拒む人もいるということを伝えているようです。
この時、ヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降して、彼らを焼き払うように願いましょうか」とイエス様に言います。これは、旧約時代の王アハズヤが預言者エリヤのもとに兵隊を送り、王に会いに来て欲しいと願ったときのことを言っています。五十人隊の長はエリヤに対して「神の人よ、王が、『降りて来なさい』と言っています」と言います。エリヤは天から火を降らして彼らを焼き払ってしまいました(列王記下1・9〜13)。ヤコブとヨハネは、このことを知っていたのでしょう。それで、イエス様に「主よ、お望みなら、天から火を降して、彼らを焼き払うように願いましょうか」と言ったのでした。イエス様は、弟子たちに対して、おしかりになます。イエス様は、自分たちを拒む人たちに対して、災いを使って従わせようとはなさいませんでした。これは、イエス様の深い愛を表す教えではないでしょうか。私たちは、自分と意見が合わない人に対して、愛の行動と反対の行いをもって押し通そうとする危険性を持っています。イエス様の愛は、無理に人々の姿勢を押さえようとなさらないところと言ってもいいでしょう。
イエス様は、弟子たちとともにエルサレムに向かって進まれます。その時に、一人の人がイエス様に近づき、「あなたが行かれる所には、どこへでも行きます」と言います。イエス様は、彼に対して「……人の子には枕する所もない」と言われます。これは、イエス様について来るためには、サマリア人に宿泊する場所を拒まれたように、人々から【拒まれることも】ある、ということを言われているようです。
次に、イエス様は「わたしに従え」と言われます。その声に「まず、わたくしの父を葬りに行かせてください」という人がいました。当時、ユダヤ教の中で父親の埋葬は、最重要な行いでした。しかし、イエス様は、「……あなたは行って神の国を宣べ伝えなさい」と言われました。イエス様は、【神の国を宣べ伝える】ことを決心した人は、たとえ、大切な社会の慣習であってもときには、犠牲をしなければいけないと言われているのではないでしょうか。
さらにまた、ある人が「主よ、わたしはあなたについて行きます。しかし、まず家族にいとまごいをさせてください」と言います。イエス様は、彼に「すきに手をかけてからは、うしろを向く者は、神の国にふさわしくない」と言われました。列王記の中でエリシャがエリヤについて行こうとした時に「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言っています。エリヤは、エリシャのこの願いに対して「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」(列王記上19・20)と言っています。イエス様に付いて行こうというこの人が、家族にいとまごいをさせてくださいと願ったのもこのエリヤとエリシャのことを引用したのではないでしょうか。しかし、イエス様は、ご自分に【従う】と決心した人に対して、神の国を宣べ伝えること以外に大切なことはないということを教えてられます。
イエス様は、みことばを通して、ご自分に【従う】ことの厳しさ、何が大切なのかという【識別の難しさ】を私たちに教えてくださっているようです。私たちは、きょうのみことばからたくさんのことを学ぶことができるのではないでしょうか。洗礼を通して、それぞれの場で私たちは、【神の国を宣べ伝える】という使命を頂いています。私たちは、たとえ様々な困難に遭ったとしてもイエス様に従って行くという希望を忘れずに、イエス様と一緒に歩いて行きたいものです。私たちが心からイエス様に【従う】という決心をしたとき、イエス様は、私たちと共におられ、私たちを導いてくださることでしょう。
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