イエス様をもてなすという種 - これって、どんな種?

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井手口満修道士のこれって、どんな種?

イエス様をもてなすという種

〈年間第16主日〉ルカ10・38〜42


 私たちは、ときとして周りの人と自分を比べてしまう傾向があります。そのような時、自分が他の人と違うことをしていることに不安感を抱く人、または、違った自分を受け入れる人の二つに分かれるのではないでしょうか。共同生活の中では、協調性が大切と言われています。しかし、中には、他の人と同じ歩調で進むことが困難な人もいます。確かに、自分勝手なことをして、共同体の和を乱すことは、勧められませんが、それぞれの個性を生かして前に進むことは良いことではないでしょうか。

 人には、それぞれリズムがあります。多少周りの人と歩調が合わなくても、“私”のリズムで行なうこと、“私”を認めたうえで行なうことが大切なことではないでしょうか。今、私が何をしなければいけないのか、何をしてはいけないのか、ということをしっかり持って行なうときそこには、はっきりと神様の祝福があるように思えます。

 さて、きょうのみことばは、マルタとマリアが自分たちの家にイエス様をお招きする箇所です。当時のユダヤ社会では、女性がユダヤ教のラビを自分の家に招くということは異例の出来事でした。また、女性の地位が低いために男性が宗教的な話や儀式を行う時に、彼らのためにさまざまなもてなしを行なうことが慣習となっていたようです。当然、マルタはイエス様を自分の家に招いたので、女性としてイエス様や弟子たちのために食卓の用意をするというのは当然のことでした。マルタは、食卓の用意を早く済ませてイエス様のお話を聞きたかったのでしょう。

 そんな時、マルタは自分の手伝いをせずに、イエス様の足もとに座って話に聞き入っていたマリアを許せなかったのではいでしょうか。マルタは、イエス様に「主よ、わたくしの姉妹はわたくし人にもてなしをさせておりますが、あなたはなんともお思いになりませんか。手伝うように言いつけてください」と言いました。マルタとマリアは、いつもは仲がいい姉妹だったのだと思います。しかし、二人の性格は多少違っていたのでしょう。ただ、イエス様たちをもてなしたいという愛の心は、共通していたのだと思います。マルタは、イエス様のために【食卓の準備をする】というもてなしの仕方、一方マリアは、イエス様が話されることに【耳を傾ける】というもてなしの仕方をとったのでした。ただ二人のもてなしの心の中にちょっとした歪みが、表れてしまいました。それは、マルタのもてなしの心の中に、「自分だけが働いているのに」という気持ちを持ったことでした。残念なことにマルタは、マリアのもてなしの心を理解することができなかったのです。

 私たちは、ときどきこのようなマルタのような気持ちになることがあるのではないでしょうか。たとえば、「私がこんなに働いているのにまったく認められない」「同じ作業をしているのに、あの人は、まだ半分も終えていない」「私は、一生懸命にやっているのに、あの人は簡単にこなしてしまう」というように他の人と自分を比べてしまいます。しかし、みことばの中でイエス様は、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配り、思い煩っているが、必要なことは、ただ一つだけである。マリアは、その良いほうを選んだ。それを彼女から取りあげてはならない」とマルタに言われます。このイエス様の言葉は、私たちへのメッセージなのではないでしょうか。イエス様は、私たちに「【必要なことは、ただ一つだけである】」と言われているような気がいたします。

 もし、マルタが食卓の準備をしてイエス様たちをもてなしていることに、満足をしていたら、きっとイエス様は、マルタのもてなしを祝福されたことでしょう。イエス様のみことばは、マルタを叱責しているように聞こえますが、「マルタあなたも【必要な、ただ一つを】選んだのですよ」と、教えているのではないでしょうか。私たちは、マルタのイエス様への言葉があったから、「【必要なことは、ただ一つだけである】」というみことばを頂くことができたと言っていいしょう。そして、私たちが選んだイエス様をもてなしたいという心は、誰からも取り上げられないすばらしいものなのです。

 私たちは、一人ひとりの性格が違うように、互いの良さも違うということを認めたいものです。そう思うとき、私たちは、相手に対して優しい気持ちを持つことができることでしょう。きょうのみことばから、今、行なうことができることを精一杯することの大切さを黙想することができるような気がします。私たち一人ひとりの歩みは違ったとしても、精一杯イエス様をもてなしたいという心があるとき、イエス様は、私たちの【もてなしの心】を祝福して受け取ってくださることでしょう。