井手口満修道士のこれって、どんな種?
おん父に願うという種
〈年間第16主日〉ルカ10・38〜42
ときどき、「だれだれさんの病気の快復のために、お祈りください」とか「私のために祈ってください」など祈りを依頼されることがあります。また、逆に「この方のためにお祈りください」とこちらの方から祈りをお願いすることもあります。このように私たちは、同じ信仰を持った人同志で祈りの依頼を分かち合うことができるというすばらしを持つことができます。
きょうのみことばは、ヨハネがその弟子たちに祈りを教えたように、自分たちにも祈りを教えて欲しいと弟子たちがイエス様に願うところから始まります。イエス様は、弟子たちの願いを聞き入れ、『主の祈り』を教えます。ルカ福音書の『主の祈り』は、「父よ」という言葉から始まります。この「父よ」という言葉の中には、「お父ちゃん、パパ」のように子どもが親しみをこめて父親に呼び掛けている、という意味が含まれています。イエス様は、弟子たちに『主の祈り』を教える前に「祈るときには、こう祈りなさい」と言われてから「父よ、」と始められています。これは、私たちが『主の祈り』を唱えるとき、また、私たち何かをおん父に祈るときには、【子どもが父親に願うように祈りなさい】ということを教えていると言ってもいいのではないでしょうか。
『主の祈り』の中には、まず、おん父への賛美が祈られ、その次に私たちのための祈りへと続いています。「わたしくしたちに日々のかてを、日ごとに与えてください。」というのは、私たちの「生きるためのかて」だけではなく、「来る終末のためのかて」「神の国の支配のためのかて」という意味があるようです。また、それらの【かて】は、先のことを思い悩むのではなく、「一日、一日」を大切に過ごしていくという意味のようです。私たちは、どうしても先のことを心配するという傾向があります。イエス様は、『主の祈り』の中でおん父に信頼して一日を過ごしなさいということを教えてくださっているのだと思います。
『私たちの生きるためのかて』の次に、イエス様は、「わたくしたちの罪をゆるしてください。わたくしたちに負い目のある者をすべてゆるしますから。」と私たちが陥る【罪】についての祈りを教えられます。私たちは、自分たちの罪を許してくださいというとおん父に、祈ることはできますが、罪を許すか、許さないかは、おん父の絶対的な自由に委ねられているのです。私たちは、謙遜な気持ちでおん父に罪の許しを願い、許されることでおん父への感謝の気持ちとして、【わたくしたちに負い目のある者をすべてゆるすことができる】のです。私たちは、罪への誘惑にはとても弱く、何度も同じような罪を犯し、そのたびに【ゆるしの秘跡】を受けます。イエス様は、そのような私たちのことをご存じなので「わたくしたちを誘惑に陥らないように導いてください」と祈るようにと言われているのです。イエス様は、私たちに「誘惑に陥ることは仕方がありません。ですから、誘惑に打ち勝つための力を祈りなさい」と教えられているのではないでしょうか。
さて、みことばの後半は、私たちがおん父に祈るための心構えと、おん父がその願いを叶えてくださる寛大さ、ということが書かれているようです。イエス様は、ある人の家に旅行中の友人が訪ねて来るというたとえ話を弟子たちにされます。当時のパレスチナでの旅は、日中が暑いために夕方になってから出発していたようです。そのために、真夜中になってから人の家を訪ねるということは、一般的なことのようです。また、そのような旅人を迎えるということは、義務に近い慣習もあったようです。そのために、この人が真夜中に不足していたパンを借りてまで、もてなそうとする行為は仕方がないのかもしれません。逆に、一見冷たそうに見える、断り方をした人にも理由があります。それは、当時の人たちは、家族全員が同じ部屋で一緒に寝ていました。そのために、わざわざ起きてパンを貸し与えるということは、せっかく寝てしまった子どもたちを起こさないという親の愛情とも言えます。ここには、立場が違う【二つの愛】が描かれています。
みことばは、「しかし、あなたたちに言っておく。友人だからということで、起きて、何も与えることはしなくても、そのしつようさのゆえに起きて、彼が求めるものをすべて貸すにちがいない」と言っています。ここで、この友人は、恥も外聞もなくパンを願う人に対して、寛大で愛情を持ったおん父の姿に変わっています。イエス様は、私たちに祈るときには、【恥も外聞もなく】おん父に祈り求めれば、その祈りを叶えてくださる、と教えているのではないでしょうか。私たちは時折、子どもが親に何かを買って欲しいとおねだりをする場面を目にすることがあるでしょう。親は、子どもに何かの理由を言って諦めさせようとしますが、それでも、最後には子どもの願いを聞いてしまいます。きょうのみことばをから私たちは、おん父に祈り求める心構えと、その祈りを叶えてくださるおん父の愛の深さを黙想できるのではないでしょうか。私たちがおん父に祈るときには、必ず聞き入れてくださると信頼しながら、子どものような心で祈っていきたいものです。
【お知らせ】著者の都合により、次回の更新は9月からとなります。
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