よもやまメール箱

私の弥勒菩薩

赤波江謙一神父のよもやまメール箱


 ずいぶん昔に訪れた、奈良の中宮寺の弥勒菩薩像を、それが日本にある唯一の弥勒菩薩像であると思い込んでいた私が、京都在住のシスターから京都の広隆寺の弥勒菩薩像のことを聞かされ、是非一目お会いしたくてそこへ出かけて行ったのは、龍安寺のすぐそばの女子修道院で黙想をしていた、12月のある土曜日の朝のことでした。

 目指す広隆寺は、映画村で有名な太秦と同名の、京福電鉄駅のすぐそばにあり、12月という時期にしては穏やかな朝で、柔らかな日差しが、人影の少ない境内をやさしく照らしていました。

 弥勒菩薩像が安置されている霊宝殿の中に一歩足を踏み入れた私は、そこに焚き込められた強い芳香と居並ぶ仏像たちの群れに圧倒され、一瞬我を忘れていました。何百年という時間を一足飛びに遡った別の世界がそこにあったのです。

 ほの暗い霊宝殿の中央に、飛鳥時代の国宝1号という、私にも見覚えのある弥勒菩薩像がありました。台座に坐って物思いに耽った、いわゆる、半跏思惟像の、穏やかで、浄らかで、深い喜びを湛えていらっしゃる弥勒菩薩像の中に、私は、時間と空間を超越した人間の本当の信仰心の現われを見るような気がしました。

 しかし、像と私の間の3、4メートルばかりの距離は、近視の私に、もっと大きな隔たりを感じさせました。眼鏡の角度を変えて目を凝らしても、お顔は、今一つ私に近づいてくれません。右にいったり左にいったり、ぎりぎりのところまで近づいたり、他の仏像を拝観して、また同じことを繰り返したりしていましたが、やがてあきらめ、思いを残して退出して参りました。それだけに、受付けで、印刷された大版の写真を、4枚1組600円で求めることができたのは、本当に大きな喜びでした。

 黙想所の自室で、その4枚の写真をかわるがわる手に取って、椅子にすわったり、ベッドに寝っころがったりして、ためつすがめつ眺めているうちに、どうしてこんなにもこのお顔に惹かれるのだろうと、今度は自分のことを考え始めたのです。そして、どこかで見たことのある顔だと思った途端、パッと暗がりに明かりが点るように、私の脳裏に、もう一つの顔が浮かんだのです。そうか、そうだったのか、というその思いは、少し大げさに言えば、涙が出るほどの大きな感動に私を導いてくれました。それは、私の掌にすっぽり入ってしまうくらいの、小さな、何の変哲もない、木彫りの聖母マリアのご像でした。

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 25年ほど前に、研修のため、フィリピンに1年間滞在していたことがあります。休みを利用して、高原の町バキオを訪れ、ベネディクト会の修道院に泊めていただきましたが、そこで手作りのストラやロザリオなどと一緒に、幾つかの木彫りのご像が売られていました。1本のストラを、お世話になった教区司祭のために、そして、マリア様のご像を、誰のためとにというでもなしに1つ求めました。いろんなお顔のマリア様がありましたが、せっかくフィリピンに来たのだからというので、東洋的なお顔のものを選んだのですが、お金を払って自分のものにした途端、そのマリア様が、私に対して、えも言われぬような微笑みを下さっているように感じて、すっかり私の宝物のようになってしまいました。

 日本に帰ってきて、それまで本当に親しくしていたS市の友人の家を訪問することになって、私はフィリピンのお土産に、一番大切にしていたそのマリア様のご像を持って行ったのです。しかし、そのご像を受け取った友には、「面白い顔をしてますね」という言葉以外、何の感想もありませんでした。さら数カ月を経て、再度そこを訪問する機会があり、そして、気になっていたマリア様が、小さな博多人形と一緒に飾り棚の中に並べられてあるのを見て、何かいいようのない寂しさを感じたのを覚えています。「私が一番大切にしているものですけれど、と言った私の真心は通じなかった。小さな博多人形と同じレベルのものとしか受け取られていなかった。あんなに大切にしていたものをなぜ人にあげたのだろう」という後悔と傷心の思いで帰京してきたのです。

 それから数日後、親しくしている一人の神父様にその一部始終を話したところ、彼は言下に、「あ、そのご像は返してもらいなさい、今電話したほうがいい」と言うのです。一度差し上げたものを取り返すことなど考えてもいなかった私でしたが、その神父様の言葉に追われるように、ダイヤルを回し、恐る恐る、「わけは後で話します。済みませんが、あのご像を・・・」とお願いしたのです。2、3日後、大事そうに包装されたご像が手元に戻ってきた時は、差し上げたものを取り返したというより、失くしていたものを見つけ出したという大きな喜びを感じたものです。

 一度、親しい者が10人ばかり集まって、四方山話に花を咲かせていた時、話がマリア様のことになりました。この時とばかりに、私は「俺のマリア様を見せてやる」と言って自室に戻り、小さな木彫りを持ってきてみんなに披露しました。みんなは、鼻が大きいな、とも、面白い顔ね、とも言わずに一様に「ワァー、どうしてこんなに嬉しそうに笑っていらっしゃるんだ」と言ってくれたのです。私がそのマリア様を眺める時にいつも感じることを言ってくれたことに、わくわくするような喜びを感じました。同時に、ルルド、ファティマなどといろんなマリア様のご像があるけれど、このマリア様は一体何のマリア様だろうという疑問がその時湧いてきたのです。綻びそうな顔いっぱいの笑みを湛えて手を合わせ、うつむきかげんにひざまづいておられるそのお姿を、どこかで見たような気がしたのですが、思い出すすべもありませんでした。

 それは、久しぶりに顔を合わせる人たちの集まりでしたので、話しは夜更けにまで及びました。お酒が入って私も饒舌になり、何を思ったか、洗礼を受けて間もない一人の若い女性に、キリストの誕生の次第を話し始めたのです。何で今そんな話を、と言って、私を黙らせようとした人もいたそうですが、私の話を聞かされていた当の女性の、酔って呂律もあやしい私の話を「続けさせてあげて」という一言で、話は幼子イエズスが飼い葉桶に寝かされて、マリア様がその神の子を拝んだというところまできました。と、その時、酔っていた私は、突然、「アーッ」という大きな声を出してしまったのです。

 「この酔っぱらいが」とみんなは思ったというのです。しかし、私がその時、「アーッ」と言ったのは、さきほど「俺のマリア様は何のマリア様だ」と言っていたあの疑問の答えが与えられたからでした。「そうだ、俺のマリア様は、子供を生んで、それを慈しみと喜びに満ち溢れて見つめている母親だったんだ」というそのひらめきは、他の人には理解できないかもしれませんが、私自身の中に喜びと驚きの感動を湧き起こしたのです。

 私のマリア様は、クリスマスセットの一部ではありません。ですからイエズスご誕生の場面のマリア様なのに、ヨゼフ様も幼子イエズスもいないのです。慈しみと喜びに満ちた嬉しそうな顔で見つめているのは、寒いと言っては泣き、おなかが空いたと言っては手当たり次第に物を口に運び、痛いと言っては手足をバタバタさせている哀れな赤ん坊のこの私なのだと勝手に思い込んでいます。信仰とはそういう人間のためのものだと思います。神は、身も心も傷ついて、それでも大声をあげて泣き叫んで、ご自分のほうに近寄ってくる人間のみを、私の弥勒菩薩の笑顔にみられるような、この上ない喜びと慈しみで見つめてくださるのだと確信しています。

 黙想所の自室のベッドで、味わい深い弥勒菩薩像の写真を見つめて、それを私のマリア像のイメージにダブらせながら、「俺の弥勒菩薩像は少し下品に笑いすぎているかな」と思った途端、手にしていた数枚の写真が、思わず手から離れて私の顔の上にドサッと落ちてきました。マリア様に「まあ失礼ね」と言われたような気がして、つい一人で声を出して笑ってしまいました。