よもやまメール箱

ま、いいか!

赤波江謙一神父のよもやまメール箱


 これは私の全く個人的な感想ですが、聖書の中には、イエス様は本当にこんなことをおっしゃったのかなあ? と思うような個所があります。イエス様がそのようにおっしゃった、ということを疑うのではありません。言葉で表現されているままの意味でおっしゃったのか、それともその御言葉の中には別の含みがあるのか、ということです。例えば、次の御言葉もその中の一つです。

 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」(マタイ18・?5〜17)。

 最後に言われる「〜のように見なしなさい」というのを、勧めや命令のように受け取るわけですが、これを現代風に置き換えると、いったいどんなふうになるのかと悩んでしまいます。「〜のように見なせ」と言われれば、「〜のような」と言われる人は全く差別的な立場に置かれるわけですから、あまり穏やかではありません。ですから「異邦人」とか「徴税人」に匹敵するのは誰なのか、と推測すること自体意味のないことです。

 最後の手段としての教会の言うことも聞き入れないような人は、「〜と同じように見なして、切り捨ててしまいなさい」というのは、福音的勧告ではありません。むしろ、できるかぎりのことをした後で、どうしても言うことを聞き入れないような人に対しては、「ここまでやったのだから、ま、いいか。あとのことは神様にお任せしよう」ということで、身を引きなさい、ということではないかなあ、と思うわけです。
 自分の力でどうにかしようと思って、いつまでも引きずっていると、あなた自身がおかしくなってしまうし、同じ穴のムジナになってしまいますよ、というふうに考えると少し納得がいくような気がします。

 実を言うと、この「ま、いいか」というのは、何か嫌なことがあったときに、いつまでもうじうじと引きずらないために、私が最近とっても重宝している言葉なのです。人生にはいろいろなことがありますから、何かを引きずっていると、次のステップに支障を来します。

 だれかに何か言われて頭に来て引きずりそうになったときに、「ま、いいか。あの人は、私を怒らせようとして故意に言ったわけじゃないんだから。」

 何か嫌なことに巻き込まれて、落ち込みそうになったときに、「ま、いいか。神様が私をここに遣わされたんだから。」

 聖霊に祈ったにもかかわらず、説教がうまくいかなかったと感じられるようなときに、「ま、いいか。今日はこれでいいと、聖霊がおっしゃっているに違いない。」

 ジャイアンツが大敗して、そのふがいなさに怒髪天を突き、今夜は眠れそうにもないと思えるようなとき、睡眠不足にならないように、「ま、いいか。別に俺が試合しているわけじゃないんだから。」

 はらわた煮えくり返るようなことをされて、その気持ちをどこに持っていったらいいか分からないようなとき、「ま、いいか。ま、いいか。ま、いいか。これには私の知らない事情があるに違いないんだから。」

 これはほんの一部です、と言うと、毎日これを連発せざるを得ないような状況にあるのかと呆れられてしまいますな。それほどでもありませんが、引きずらないためには、これがなかなか効果があるんです。「ま、いいか」の「いいか」は、「どうでもいいか」ではなく、「ま、今回は、これで、良しとしておこうか」という深い(?)意味があるのです。ある黙想会でこれを紹介したら、大切なのは、これを心の中でつぶやくだけでなく、だれもいないところで、声を出して「ま、いいか!!!」と言うことです、と教えてくださった方がいらっしゃいました。ありがたいことです。

 話は変わりますが、相撲の人気力士に、高見盛という人がいます。そんなに強くないんですが、仕切りの制限時間が来たときの仕草や、勝っても負けても、花道を引き上げるときの格好が好対照に面白くて人気者になり、横綱顔負けの懸賞金がつく、不思議な力士です。この力士が「N谷園」という会社の「お茶漬け海苔」のコマーシャルに出ていたことがありました。白星を上げて分厚い懸賞金をもらい、意気揚々とそっくり返らんばかりに花道を引き上げてきます。そして「今日はいいことあったから」というバックの歌と共に、その会社のお茶漬け海苔でお茶漬けを、嬉しそうに、美味しそうに、が−ッとかき込みます。バックで「明日もいいことありますように」と歌うのですが、翌日は黒星で、しょげ返って花道を引き上げます。ところが今度は、バックの「いいことなくても、これがある」という歌と共に、やはりそのお茶漬けをがーッと一口かき込んで顔を上げ、目尻の下がった例の笑顔で一言言います。

 「ま、いいか!」

 今日の黒星は引きずらないぞ! 今日は今日だ! 明日頑張る! ということなんですな。何回かこのコマーシャルを見ていたのですが、はじめて彼の「ま、いいか」に気付いたときは、思わず笑ってしまいました。「あーっ、言ってる!」と叫んでしまいました。専売特許申請をしておけばよかった、とは思わなかったけど、「僕の方が先だモんね」という優越感があったような記憶があります。

 閑話休題。イエス様の御言葉を神の言葉として受け取りながらも、その中にイエス様の人間性とか、思いやりを斟酌しながら読んでいくというのも必要なのではないかなあと思います。

 イエス様がご自分の死と復活を予告されたときに、何も知らないペトロは、あろうことか、「イエスををわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている』」と言われました。サタン呼ばわりされたペトロはさぞびっくりしたことでしょう。「そんなつもりで言ったのではありません」という思いがあったに違いありません。そういうペトロに厳しすぎたことを言ったイエス様は、ペトロに聞こえないように言ったかもしれません。

 「ま、いいか。今は分からなくてもいい。後で分かるときが来る」と。