よもやまメール箱

満ち潮と引き潮

赤波江謙一神父のよもやまメール箱


 何年か前に長崎に行ったとき、タクシーの運転手さんから面白い話を聞きました。何の話がきっかけで彼がそんなことを話したのか忘れましたが、自然のサイクルと人間の体のかかわりという話でした。

 その運転手さんもだれからか聞いた話だそうですが、海の波が一分間に押し寄せる数は、18回だそうです。この回数は日本の海であろうと、ハワイの海であろうと、アフリカの海岸であろうと、すべて同じだそうです。そしてこの数は、人間が一分間にする呼吸の平均的な数と同じだそうです。

 ところがこの数の倍の36は、人間の体温の平均的な数で、その倍の72は、人間の一分間の脈拍の平均的な数、その倍の144は、血圧の平均的な数値になるということでした。

 その後で、すぐ海に行って波の数を数えたわけでもないし、呼吸、体温、脈拍、血圧といった人間の体のメカニズムについて医学的な研究をしたわけでもありませんので、詳しいことは分かりませんが、この話を最初にしろうとのレベルで聞いたときは、「なるほど!」と非常に感心したものでした。それで確かめるように繰り返しながら運転手さんに何度も聞き直したので、覚えてしまったわけです。その後、得意になっていろんな人にこの話を紹介すると、私の最初の反応のように、「なるほど!」と言って感心してくださいます。

 地球の温暖化や環境破壊によって、自然のサイクルや生態系に狂いが生じてきていると言われます。人間の体が自然のサイクルと密接な関連があるというのなら、「ミクロ・コスモス」(小宇宙)と言われるくらいに、どんな精密な機械も及ばない人間の体のメカニズムにも、幾分狂いが生じてきているのではないかと心配になってきます。

 実は、これも長い宇宙の歴史から見れば、大きなサイクルのひとこまであって、一つの変化を経て、次の時代に向かうための現象である、というのであればよいのですが、たとえそうであるとしても、今の時代は大きな試練に立たされているような気がします。

 「歴史は繰り返す」と言いますが、人間がつくりだす歴史にもサイクルがあるということなのでしょうか。

 歴史と言えば、「聖霊降臨」の日がその誕生日である教会の歴史も、今日までの2000年の間に、追い風、逆風、つむじ風、満ち潮、引き潮といったサイクルの中でその歩みを続けてきたのではないでしょうか。聖霊の追い風を受けて順風満帆の出発を始めた教会も、その後、世界各地での度重なる迫害などの試練という、聖霊の逆風やつむじ風の中で、その基礎をしっかりと固めさせてもらって来たと言えるでしょう。

 そんなことを考えていた時、聖霊の働きについて福音書が記している個所(新共同訳聖書)を思い出しました。それは、イエス様が宣教をお始めになる前に、荒れ野で断食をなさり、悪魔から誘惑をお受けになることを記している個所です。

 「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた」(マタイ4・1)。

 「それから“霊”はイエスを荒れ野に送り出した」(マルコ1・1)。

 「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた」(ルカ4・1〜2)。

 三人の福音記者は、それぞれにイエス様が“霊”によって「導かれ」「送り出され」「引き回され」たと記しています。同じことを記すのに、三人がそれぞれ違った表現を用いたということは、聖霊の働きのありかたをシンボリックに表現しているということになるのではないでしょうか。

 イエス様によって建てられた教会も、イエス様と同じように、その始めの時は「さあ、行こう!」と“霊”によって「導かれた」のでしょうし、ある時は古い体質に安住していた状態からから脱却して新しい時代に向かうようにと、“霊”によって大海に「送り出された」のでしょうし、ある時は、迫害などのさまざまな試練によって“霊”に「引き回された」のではないかと思います。

 古い体質に安住しているということではなく、やがて来る新しい時代に即した教会となるために、今、日本の教会はその準備をしています。その準備におおわらわで、今まであったものが無くなったとか、馴れ親しんでいたものが別のものに代えられたとかで、「教会がガタガタになりました」と真剣に嘆き、失望しているような声も聞きます。果たして本当に壊れかけてガタガタなのでしょうか。それとも建設途上でガタガタという音が聞こえているのでしょうか。

 満ち潮であった教会が引き潮になって、今まであったものが無くなってちょっと慌てているような気がしますが、引き潮のときにしかできないことあるし、満ち潮のときには決して取ることのできない貝をたくさん取って楽しむ方が得なような気がしますね。

教会の歴史のサイクルの中で、今は“霊”によって引き回されているのかもしれないし、満ち潮になったら“霊”が追い風となって「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5・4)と教会を大海に送り出してくださるはずです。今その準備の時なのでしょう。

 先週の日曜日、「聖霊降臨」の主日に「教会の誕生」ということで考えたことを書いてみました。それで説教のようになってしまいました。