よもやまメール箱

巡礼の思い出

赤波江謙一神父のよもやまメール箱


 11月5日から約10日間、フランスの地に、黙想会を兼ねた巡礼に行ってきました。大阪府茨木市にある黙想所「愛と光の家」の企画で、添乗員を含む総勢19人の巡礼の旅でした。黙想会は、「愛と光の家」の創始者であるマルト・ロバン(1902〜1981)が生涯を過ごしたドローム県シャトーヌフにある本部の黙想所で行われました。指導してくださった現地の司祭の事情で、三日間だけの黙想でしたが、とても内容の濃い素晴らしい時を持つことができました。

 マルト・ロバンについては、『マルト・ロバンの面影』(ジャン・ギトン著 岳野慶作訳 中央出版社 1990年)の「訳者まえがき」で以下のように紹介されています。

 「マルト・ロバンは、1902年3月13日、フランスのドローム県シャトーヌフ・ドゥ・ガロール村の農家に生まれ、一生涯そこをはなれたことがなく、1981年2月6日に帰天した。ところが、不思議なことに、この女性は、数十年間なにも食べず、なにも飲まず、夜も眠らず、生きつづけた。そして、毎金曜日を中心に主キリストのご受難を深く体験し、聖痕をさずかっていた。ただ、聖体拝領の脱魂のあいだ、やすらかに眠っていた。マルト・ロバンは、このように最小限度の生命しか、いとなんでいなかったにもかかわらず、すべての人に現存した。30年間に約3000人の訪問客を迎えて、これに光明を与えた。かの女を訪問した人々の中には、国家の要人、教会の司牧者、各部門の専門家、家畜や収穫について語る田舎の隣人、友人、親戚、かの女の床の上にのぼる子供たちがいた。そのうえ、かの女は、社会から見放された人、人生の落伍者を迎えたし、死刑囚や遠くで臨終を迎えている友人とも関係を保った。マルト・ロバンはまた、その指導司祭や協力者といっしょに、世界の60数か所に「愛の家」(Foyer de Charite´)を建てた。わが国の大阪府茨木市にある「愛と光の家」はその一つである。」

 マルト・ロバンより1年早い1901年生まれで、55年から68年までパリ大学で哲学教授を務めたこともある思想家、哲学者であり、アカデミー・フランセーズの会員でもあった『マルト・ロバンの面影』の著者ジャン・ギトンは、同著で、実際にロバンに会って彼女から聞いた話、受けた印象を詳しく述べています。

 私は、自分の会の出版物リストの中にその本があるのを知っていましたが、その出版のころには編集部にいませんでしたので、恥ずかしながら、その本を手にとって読んだことはありませんでした。数年前に「マルト・ロバン」や「愛と光の家」のことについて聞くようになり、そこの黙想会の手伝いをするようになって、私の内でこの二つのことが結びつき、今回の黙想巡礼に同行司祭として参加することになったわけです。

 フランス到着の夜はパリのホテルに泊まり、翌日、ノートルダム大聖堂で日曜日のミサに与りました。私は共同司式でミサをささげることを予約していただいておりましたので、ミサの前に香部屋に回ったのですが、大勢のフランス人の司祭に混じって「その他」の一人、と思っていたら、フランス人と勉強中のアフリカ人と巡礼中の日本人である私の3人での共同司式ミサということで、ちょっとビックリしました。

 日曜日のミサでもありましたので、大勢の人が参列していました。共同司式とはいえ、私は全くフランス語は分かりませんので、一人で日本語の祈りを唱えておりました。ところが聖変化の後の祈りになった時、3人の真ん中で司式をしていたフランス人の司祭が、私が使っていた日本語のミサ典礼書を指差して“ジャポン、ジャポン”と小声で言うのです。すぐに“次は日本語で唱えなさい”と言われたと分かりました。思いがけないことでしたので、ちょっとビックリしましたが、ノートルダム大聖堂で日本語が唱えられるミサも珍しいだろうと思ったら、嬉しくなって、その司祭に心の中で感謝しながら大声で、“聖霊によってわたしたちがあなたにささげられた永遠の供えものとなり……”と唱えました。ミサに参列していた日本人の巡礼者たちには、ちょっとしたハプニングだったみたいですね。

 こんな感激的なミサから始まった巡礼でしたが、「ご聖体」の光に照らされた感激が最後まで続いていた巡礼だったような気がします。

 その日の午後は、不思議のメダイ教会での夕べのロザリオと聖体礼拝に与りました。今年は、イエス様が聖カタリナにご出現なさって170年になる記念の年で、そのための特別な聖体礼拝でした。熱心に与っていたつもりでしたが、ちょっと恥ずかしながら、旅の疲れから、つい居眠りしてしまいました。

 ところが、祈りが終わって外に出て、頼まれていた不思議のメダイを買っていたら、隣で買い物をしていたのが日本人女性のようだったので、ふと目をやると、テレビでよく見かけるオペラ歌手でタレントのM・Kさんでした。聖体礼拝に参列なさっていたようだったので、“カトリックでいらっしゃいますか?”とお聞きしたら、“子供のころ教会に行ったことはありますが、キリスト教ではありません。パリには仕事でよく来るのですが、ここには初めて来ました。こんなところがあるとは知りませんでした。とっても感動しました。心の中が熱くなって……”と、大きな目に涙をいっぱいためて、嬉しそうに話していました。

彼女の様子を見ていて、祈りの最中に居眠りしていた自分がちょっと情けなくなりましたが、初めてご聖体を訪問した人に、主はほほ笑んでくださったんだなあと思い、周りにいた日本人巡礼者たちと、我が事のように喜んだものでした。

 翌日からシャトーヌフでの黙想会が始まり、その後、聖ヴィアンネーゆかりの地アルスの大聖堂でミサをささげ、リヨン、ランスなどの大聖堂を巡礼して回りましたが、今回の巡礼で一番印象深かったのは、マルト・ロバンが生涯を過ごした部屋での祈りでした。70年の生涯の約50年間、マルト・ロバンがご聖体と共に生き、ご聖体に現存するキリストが証しされた貧しい、小さな、馬小屋のようなその場所は、他のどんな大聖堂にもまさる大聖堂のようでした。

 教皇ヨハネ・パウロ2世によって定められた「聖体の年」終了直後に今回の巡礼に参加でき、私の中でさらに新たにご聖体の年が始まったようで、大きな恵みでした。あまり深く考えずに、巡礼者のためにミサをささげる「同行司祭」としてついて行った巡礼でしたが、マルト・ロバンのことが急に気になり、巡礼には持っていかなかった『マルト・ロバンの面影』を引っ張り出して読んでいるところです。


roban.jpgマルト・ロバンが生涯を過ごした部屋とベッド