よもやまメール箱

HOME > コラム > よもやまメール箱 > バックナンバー > 美味しいもの食べたい!

美味しいもの食べたい!

赤波江謙一神父のよもやまメール箱


 20年ほど前のことになります。全寮制の高校で寮の舎監長の仕事をしていたことがあります。いまどきの高校生のことはあまり知りませんが、その当時の高校生、特に私が奉職していた学校の高校生は、勉強はあまりしないで、もっぱら遊びのほうに専念し、交友関係を重視するというところが見られたようでした。サムライたちもたくさんいて、24時間彼らと生活を共にする舎監の仕事は神経をすり減らすくらい疲れるものでしたが、今にして思えば、あれもこれも楽しい思い出ばかりです。当時の高校生が結婚する時には、教会や結婚式場のチャペルで司式をしたり、披露宴でスピーチを頼まれたりもしましたが、話の内容はもちろん学校時代のことで、お祝いに駆けつけた同級生たちの披露宴の席での互いの呼び名も当時のあだ名、話題もすべて十数年前の寮生活のことばかりでした。

 今でもたまにですが、冬の寒い時期に鍋料理をすると、きまって彼らのことを懐かしく思い出します。当時、学校の教師が、寮で生活していた生徒たちを自分の家に呼んで家庭料理を振る舞い、お互いの親睦をはかっていたのですが、学校に隣接する修道院にいて、家庭料理を振る舞うことが困難であった私は、寮内の一室で、旺盛な食欲を満たせるものとして一番手っ取り早い鍋ものを彼らに食べさせていたのです。最初は生徒の一人が何かの本で見たレシピをもとに作ったのですが、それが割とうまくいったので、少しずつ改良していくうちに、一つの料理になっていきました。彼らはそれを「アカバエ鍋」と称していました。

 料理をするチャンスがあるときには、そのころのものと全く同じ鍋料理をするのですが、これにヒントをえて、私の「鍋」のレパートリーも幾つか増えました。もっとも私にできる料理らしいものといえば、それしかないのですが、それにはそれなりのこだわりがあって、自分なりに密かな自信ももっているのです。20年も前の寮の生徒たちに感謝もしています。

 美味しい料理を紹介するテレビ番組がたくさんあります。出来あがったものを、“おいしい!” と目をまん丸くして食べているタレントさんを見て、《あんなもの私も食べてみたい、羨ましいなあ!》と思うことがあります。特にいろいろな地方の魚介類料理の紹介を見ていると、そう思いますが、初めからそんな所に行くチャンスも、お金も、時間もないのは分かっていて、見終わった後は全部忘れてしまいますので、生活に全く支障は来さないのはありがたいなあ(?)と思っています。

 先日、午後に新幹線で出かける用事があったのですが、それまでちょっと時間があってテレビをつけたら、例によってまた料理番組をやっていました。でもそのときは、美味しそうだったからではなく、フランスのレストラン経営者が京料理を勉強に来ているというのが面白そうだったので、見るともなく見てしまったのです。

 最初は鯛の下ろし方などを教わっていたようでしたが、そのうち、日本人の料理長が作った京料理を“美味しい!”と言って食べ、今度は日本料理の出汁を使いながら、同時に大根や人参をはちみつで味付けし、鯛やマツタケを料理しだしたのです。《何をするんだ?》と思いながら見ていましたが、それを食べた日本人の料理長が“美味しい!”と感動しているのをみて、ビックリしました。大きな台所での「試食会」のような状況でしたが、自分の料理を食べに来てもらうお客さんに、どのようにしたらもっと美味しいものを作って差し上げることができるかを学ぶために、フランスから日本にやってきたそのシェフの気持ちと、フランス人が作った京料理を食べた日本人料理長が、“自分の考えが硬かったことが分かった”という言葉にとても感動しました。

 その日は、黙想会のお手伝いで講話をするために出掛けるところだったのですが、その番組を見ていて《これだ!》と思ったことがありました。私にも「聖書」という、「山海の珍味」といっても良いくらいの、この上ない立派な素材が与えられている。これを使って料理をしなければ、心の糧を求めて来られるお客様に、出来立ての暖かい料理を作って差し上げるくらいの気持ちで、いつも現場に行かなければ、という思いでした。どうやったら、この素材を使って“美味しい!”と言っていただける料理を作ることができるか、大きな課題を料理番組を通して与えられたような気がしました。

 フランスのシェフが言ってました。「フランスの料理は、死んだ魚に命を与えるために味付けをします。日本料理は、死んだ魚であっても、そこに命を見ながら料理をしています」と。

 暖めるだけ、お湯をかけるだけのものは、料理ではないのですが、もしかしたら、ときどき、そんなものを持って出掛けていることはないかな、と自分に問いかけてみなければならないなあと思った次第です。肉でも、魚でも、野菜でも、そこに「命」を見ながら料理する心が必要なのだな、と思いました。聖書の中にその「命」を見ながら料理しないで、出来合いの「レトルト食品」みたいな他のものを間に合わせに使ったとしたら、お客様を侮辱することになるのだなあ、とちょっと恐くなりました。

 そんなことを考えながらその番組を見終わって時計を見たら、予定していた新幹線の出発の時間まで30分しかない! せっかく指定席買ってるのに! 大急ぎで出て東京行きの電車に乗って東京駅に着いたのは出発2分前。乗り損なった! 感動して反省するのもよいけれど、余裕をもって行動しなきゃなあ、ともう一つの反省もした、ある土曜日の午後のことでした。