よもやまメール箱

夢が正夢に

赤波江謙一神父のよもやまメール箱


 私の体を流れる血のルーツは長崎県の五島列島です。父親の誕生から遡ること何代くらい前になるのかは知りませんが、先祖はキリスト教迫害時代の隠れキリシタンの時代から、上五島といわれる島の「赤波江」という村に住んでいました。私が子供の頃に行った赤波江の村には子供たちも大勢いて、夏休みには浜辺で遊ぶ声がずっと上の方にある集落にまで聞こえてくるくらいの勢いがありましたが、今は過疎化されて、わずか10件くらいの家族の年寄りの親戚が生活しているくらいで、かつての面影はすっかりなくなりました。

 東京からはちょっと遠いので、しばしば訪ねるということはありませんが、つい最近、6、7年振りに伯母や従兄を訪問することができました。と言っても、親戚訪問の休暇というのではなく、五島巡礼の同行司祭としての「仕事」のついででしたので、ゆっくり話す時間もないあわただしい訪問でしたが、久し振りに元気そうな彼らの様子を見て、少し安心しました。

 私自身は五島生まれではないのですが、五島の血を引く者だということを知ったある信者さんの依頼で五島の教会巡礼を引き受け、半年余り前から計画を練り、五月のゴールデンウィーク後の10日から13日まで、五島市(旧福江市)、新上五島町、長崎・出津(しつ)のそれぞれの古い由緒ある教会を訪問しました。短期間ではありましたが、お祈りのうちにゆっくりと巡ることのできた、とても素晴らしい旅でした。

 今回は、私にとっては2回目の五島巡礼の同行でした。しかし前回は10年ほど前だったということもあり、少し記憶が薄れたり混同したりしてしまって、参加者の人たちに少々迷惑をかけたようでした。巡礼者は私を含めて7人で、2台のレンタカーに3人、4人と分乗して、私が先頭車で運転しながら案内をしたのですが、車に搭載されていたカーナビは使わず、もっと頼り甲斐のある助手席の「生きナビ」の指示を受けながらのドライブは、なかなか楽しいものでした。しかし、右折すべきところを直進して10㌔以上も走ってUターンしたり、現在位置を確かめようと地図を逆さにしてぐるぐる回しては同じ道を往ったり復たりして、先頭車を信じて(?)ついて来ている後続車の信頼を裏切るようなことをするなど、幾つもハプニングがありました。そしてその極めつけは、五島巡礼がすべて終わったと思った、一番最後にありました。よくよく考えてみると、あれは想定外の、私にとってはもう一つの「巡礼」だったのです。

 今年の5月の大型連休は日本全国どこも素晴らしい晴天だったようですが、お天気も張りきり過ぎて疲れたのか、その後の天気予報は、巡礼旅行のためには嬉しくない雨天のようでした。初日、長崎空港についた午後はその予報がド真中で、夕方6時過ぎまでそれは凄いどしゃ降りでした。皆の心の中にも暗雲が立ち込めていたのではないかと思います。

 でもその夜から雨は五島を遠ざかり、五島上陸の初日は薄日が差す晴天、翌日も、曇ってはいましたが、一滴の雨も降らない天気で、参加者にとっては雨天をも覚悟していただけに、嬉しいお恵みの天候でした。

 五島巡礼のお恵みは、由緒ある教会でのお祈りと天気だけではありません。何よりも大きなお恵みは、隠れキリシタンたちが残した信仰の遺産に触れたことでした。信者さんや現地で宣教するシスター(お告げのマリア修道会)たちの厚い信仰に励まされ、また私たち巡礼者を暖かく受け入れてくださったおもてなしに、心から感謝し、感動いたしました。東京から皆さんを案内した私も、自分の先祖の地を誇らしく思った次第、だったのに、その私が、何と……。

 五島巡礼の最後の訪問先は、上五島の、それもずっと「上」の方にある江袋(えぶくろ)教会でした。長崎県の教会で現在も使用されている木造建築の最古のものであるこの教会は、仲知(ちゅうち)教会の巡回教会です。私たちが訪れてしばし祈りをささげた後、午後4時半過ぎに信者さんたちが5月の聖母月にささげるロザリオの祈りのために集まって来ていました。前日の同じ時刻に訪れた五島市の浦頭(うらがしら)教会では、大勢の子供たちと一緒に、私たちもロザリオの祈りを唱えたのですが、その日は宿に帰るまでに時間がかかるので、遅くならないうちに教会を退出したのです。時間を気にせず、一緒に祈っていたら、あんなことにはならなかったのかなあ。

 ちょっと道に迷いながら、1時間以上かかって旅館のある奈良尾港に着いたのは6時過ぎでした。レンタカーのガソリンを満タンにして車を返却し、後部座席に置いていた荷物を取り出そうとしてドアを開けたとたん、顔から血の気が引くようなショックを覚えました。その2日間、同じ個所のドアを開ける度に見ていた私のカメラが、その時、そこになかったのです。
 “カメラがない!”という私の叫び声に、≪これまで無事に終わって良かった!≫という皆の安堵感がフッ飛んでしまったようでした。

 カトリック新聞社に勤めていたころ、取材に行った外国にカメラバッグを忘れて、シマッタ!と頭抱えていたら、目が覚めた、という夢をよく見たものでした。最近は見なくなっていたと思っていたら、あの夢が正夢になった、と思いました。最後に訪れたあの江袋教会の中に忘れたに違いないと思いましたが、確証はありません。江袋教会にあるかどうか分からないのに、しかも1時間以上もかかる不案内な道路を、あと1往復、と思っただけで気が滅入りそうでした。その時、トヨタレンタリースの若い社員の方が、“お心当たりの教会まで案内してくだされば、私が運転しましょう”と言ってくださったのです。疲れていただけでなく、沈み込んでいた私を気遣って申し出てくださったその時の言葉を、忘れることができません。

 仲知教会の高野神父様との電話のやり取りで、江袋教会に忘れられていたカメラが、信者さんによって仲知教会に届けられたことを知ったのは、江袋教会に向かって再出発してから20分位たった後でした。そのカメラは、最近のデジカメとかオートマチックの小型のものではなく、取材用の大型のものでしたが、仲知教会で高野神父様が笑いながらおっしゃったことも忘れられません。
 “こがんなふとか(こんなに大きな)カメラは使い方の分からんけん、教会に届けたとよ”

 もちろん冗談です。私も、≪もし教会に忘れたのなら絶対にある≫という確信がありましたが、実際にあったと知った時は、≪やっぱり五島だ!≫と思いました。カメラを届けてくださった江袋教会の信者さん、往復2時間以上の夜の道を運転してくださった社員の中村さん、疲れのなかで一緒に付き合ってくださった巡礼者の三崎さん、われわれが戻るまで食事しないで待っていてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 皆さんを巡礼に案内したはずの私が、最後に一番巡礼させられたような気がします。これからは、この度の巡礼で頂いたお恵みを大切にしながら、もっとましな夢を実現できるように、精進したいと思います。