他人の品位 自分の品位
赤波江謙一神父のよもやまメール箱
先の参議院議員選挙の結果は、自民党の大敗ということになりましたが、その原因の一つは閣僚議員たちの度重なる失言であったようです。今に始まったことではありませんが、一国の政治を司る人たちがどうしてああいうことを軽々しく発言するのだろう、と多くの人々が苦々しく思い、嘆き、怒り、そして失望を感じた結果でもあったのでしょう。男性、女性を問わず、多くの国会議員たちが、公の演説の場で、国会討論会の場で、報道インタビューで話しているのを見たり、聞いたりするたびに、「もう少し品位をもって!」と言いたくなることが時々あります。選挙前の低姿勢とは打って変わって、議員、大臣となった後は、選んでいただいたということを忘れ、自分の力を誇示したいという思いが先に立って、国民、県民、市民、町民を見下すから、ああいう横柄な発言、態度になってしまうのだと思います。
政治に携わる人の話だけでなく、人間の価値はこの「品位」を備えているかどうかにかかってくるように思います。それは立ち居振る舞いという礼儀作法を学んでいるか、決して失言をしないか、丁寧な言葉遣いができるか、などといった、学習、訓練の結果身に着けることのできる、躾(しつけ)とかエチケットといったようなものだけではありません。本当の品位というのは、一人の人の内なる人間性から外に滲み出て、周りを癒してくれる香りのようなものではないでしょうか。それにも訓練が必要なのかもしれませんが、その訓練というのは人間的な努力、学習といった種類の訓練ではなさそうです。
俳優の武田鉄矢さんが、ある新聞のコラムに、「気品」ということについて面白いことを書いていました。
「日本人のほとんどは今や中流意識だ。物も豊富である。『ヒルズ族』とか言われている人の中には『自分は上流だ』と思っている人もいるだろう。でも… 『上流』というのは、ダイヤモンドの大きさとか、年収何億とかそういうことでは決してないのだ。上流とは『気品』があふれていること。その『気品』とは『静けさ』だ。物静けさである。『気品』——以前、ある有名な食品会社の社長さんから聞いた言葉を思い出した。『武田さん、[品格]という言葉がありますな。品と格、この両方を兼ね備えるのは非常に難しい。[品]というのは三代かかるんですよ。おじいさんの頃からしつけがきちんとしてないと孫に[品]という香りがつかないんです。[品]というのはそれくらい時間がかかるんです。親子代々で作りあげていくものなんです。[格]はねぇ、そんなことはないんです。地位や財力があれば[格]はつきます。簡単ですよ。一流レストランで一番高い料理を食べればいいんですから。でもね、いつでも[格]は[品]にかなわないんです。いざとなったら、[品]の前にひれ伏す、憐れなピエロなんですよ』社長さん、そう言って僕の方をドン!とたたき、『武田さん、僕もアナタも [格]の人間です。これはどうしようもない。でも、子供や孫は[品]のある人間にしたいですな、がんばりましょう!』…子供を品よく——同じ[ひん]でも、ひんしゅくを買う子供には育てたくないものである。」
武田さんによると、気品とは静けさ、物静けさだということです。そういう雰囲気をもった人になるためには三代かかるというのですから、自分にそれがないと思う人は、自分のためにはもう間に合わないけれど、子供や孫に伝わるように今から始めたらいいと思いますね。なかなか意味深い考えだと思います。
それとは別の意味での「気品」「品位」ということについても考えてみる必要があると思います。「本当の品位というのは、一人の人の内なる人間性から外に滲み出て、周りを癒してくれる香りのようなもの」と前述しましたが、そんな品位というものは、三代かからなければ身に着かないというようなものではありません。だからと言って頑張って努力したら会得できるものでもないような気がします。その方法は聖パウロがその手紙の中で言っているのではないでしょうか。
「奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。…婦人たちの奉仕者も同じように品位のある人でなければなりません。中傷をせず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。…奉仕者の仕事を立派に果たした人は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです」(テモテへの手紙二 3・8〜13 参照)。
二枚舌を使わないこと、大酒を飲まないこと、中傷をしないこと、節制すること、あらゆることに忠実であることなどが、奉仕者として品位ある人の条件のように語られていますが、最も大事なのは、「清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている」ことです。「信仰の秘められた真理」とは、「生きているキリスト」の「生きていることば」に基づいた行いです。
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネ13・14〜15)。
ご自分と他人の尊厳を大切にした「奉仕者」として、完全な生き方を示したキリストの姿こそ、最も「品位」ある人の姿です。聖霊の導きにより、この姿を求めてキリストのことばを生きるときに、私たちはいつか自分で気づかないうちに「品位」ある者、周りを癒す香りを漂わせる者としていただくことができるのです。
他者の尊厳、品位を保つことが、自分の尊厳、品位を保つことであるように思いますが、どうでしょうか?
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