二回目の聖体拝領
赤波江謙一神父のよもやまメール箱
今年はマザー・テレサ(コルカタの福者テレサ)が帰天(1997年)して10年目になります。それを記念して、追悼ミサをはじめとするさまざまな催しが各地で行われたようです。彼女は存命中から聖女と言われていましたが、帰天後6年目の2003年10月19日の「世界宣教の日」に、時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって「福者」の位に挙げられました。異例の速さの列福ですが、彼女の生涯を良く知る人にとっては、当然といえることかもしれません。「コルカタの聖テレサ」と呼ばれる日も、そう遠くないことでしょう。
偉大なその生涯は、本や映画、ビデオを通じて世界中に知れわたっていますので、ここであらためて列挙するまでもないことですが、その活動の主なものは、貧しい人々への奉仕、「死を待つ人の家」での病人の介抱と永遠の旅路への準備、不幸な境遇の中で生を受けた子供たちの世話、ハンセン病患者の世話などでした。その行動の動機の神髄にあったものは、貧しさや病気によって損なわれた人間としての尊厳の回復でした。極度の貧困や病、周りの人の無関心と無理解によって放置された人の、自分では保つことのできなくなった人間としての本来の尊厳を取り戻してあげること、それがマザー・テレサの仕事でした。
「人間の尊厳の回復」それは言うまでもなく、イエス・キリストがこの地上に来られた目的でもありました。
「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものように安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった。
『主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。』」(ルカ4・16〜19)
このことばの意味は、「罪によって損なわれた人間の尊厳回復のためにわたしは遣わされた」ということです。そしてイエス様は、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(同21)と言われました。
福音書全体は、イエス様による人間の尊厳の回復というテーマで貫かれています。「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は許される」(マタイ9・2)と言われたのは、信仰によって人間としての本当の尊厳を回復することができるという話です。
父親から分けてもらった財産を、放蕩の限りを尽くして無駄遣いしてしまった下の息子が、食べるものにも事欠いたとき、我に返って「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と言おうと決心して自分の家に帰っていく「放蕩息子」のたとえ話(ルカ15・11〜32)の父親の姿は、人間の尊厳を回復するイエス様の姿です。
放蕩の限りを尽くしてボロボロになってしまったけれども、それでも父の家に帰って行く息子の姿の中に、イエス様は「回心」という尊厳を示し、「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい」と父親に言わせます。良い服、指輪、履物は、尊厳回復のしるしです。
「私は毎日、二回聖体拝領をします。一回目は、朝、ミサの祭壇でパンの形でいただくご聖体です。二回目は、日中、貧しい人の中でいただくご聖体です。先日、カルカッタの道を歩いていたら、ドブの中に一人の老婆が倒れていました。体はネズミにかまれ、意識もありませんでした。急いで彼女を『死を待つ人の家』に連れて行き、体をきれいに拭いてあげると、彼女は目を開き、私の手を取って、一言、『ありがとう』と言って息を引き取りました。その顔はとってもきれいでした。彼女の体は私にとってご聖体でした。」(マザー・テレサの言葉)
瀕死の人の介抱は、その人の尊厳の回復であり、それをマザー・テレサは「第二の聖体拝領」と言います。ミサでの聖体拝領のために準備し、拝領後の感謝はだれでもしますが、マザー・テレサの言う第二の聖体拝領、つまり隣人の尊厳を守るということにどれだけの人が気を遣っているでしょうか。隣人の目に見える部分に対する悪口、非難、攻撃、軽蔑などは、すべてその人の尊厳を傷つけることになるし、それにも増して、そのようにしている自分の尊厳、気品、品位を自ら貶(おとし)めているということに、どれだけの人が気づいているでしょうか。自分の尊厳、品位を大事にしたい。ならば目には見えないけれども、隣人の中にある尊厳を、品位をもっと大事にしなければならないのです。
以前に書いたことのあるマザー・テレサの本のことを思い出していたら、結論が「他人の品位、自分の品位」という前回の結論と同じになりました。
他者の尊厳、品位を保つことが、自分の尊厳、品位を保つことであるように思いますが、どうでしょうか?
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