山のあなた
赤波江謙一神父のよもやまメール箱
最近、ちょっと嬉しいことがありました。この「よもやまメール箱」で2回にわたって「品位」というテーマで書いたのですが、それには理由があったのです。実は、数か月前に、神奈川県にある女子短期大学の寮を経営しているある女子修道会のシスターから、毎年恒例の寮の練成会で話をするように頼まれて、気軽に引き受けていたのですが、「お任せします」と言われていた話のテーマを何にしようかと迷っていたのです。幾つかのテーマは自分の中で候補に上がっていましたが、話の相手が二十歳前後の女子短大生ということを考えると、どれも決定的なものにならず、そのうちどうにかなるだろうと、のんびり考えていた8月の終わりごろに、「他人の品位、自分の品位」という題でこの欄に書き、それで、あ、これだ、ということで、「品位」について話そうということを決定しました。一か月後の9月28日の練成会まで少しずつ準備する中で、その内容の一部が前回のこの欄のテーマになったという次第です。
カトリック大学の女子大生を相手に話をしたことは、これまでにも何回かありましたが、信者さん相手のミサの説教とか、黙想会の講話と違って、カトリック信者のほとんどいない彼女たちに通じる話ができるかなあ、といった少しばかりの不安と緊張を覚えながら、それでも何かを伝えなければという思いで、祈りながらできる限りの準備をして、現地に向かいました。
参加者は約90人で、夕方、7時から9時までの2時間が私に与えられた時間でした。夕食後ということもありましたので、居眠りする子が大勢いるのではないか、というのも不安材料の一つでした。しかし幸いなことに、それは杞憂に終わりました。
あえて事前には話のテーマも内容も全く知らせずに行き、「今日の話のテーマは『品位』です」と切り出したときに、会場から「えーっ、なにそれ?」というようなかすかなざわめきの反応が聞こえてきたような気がしましたが、そんなことには一切かまわず、話を進めていきました。でも、事前に覚悟していた居眠りも、雑談もほとんどなく、1時間40分の間、意外(!)に、ほとんどの子が顔を上げて聴いていてくれたのには、ホッとして話を終わりました。
話の前に担当のシスターから、後でみんなに感想を書かせて送ります、ということを伺っていたのですが、帰院して何日かたっても何の音沙汰もないし、感想文の内容があまりにひどくて、シスターも送るのをためらっているのでは、なんて、自分の話の内容の質のことも含めて、何か疑心暗鬼(?)のような思いにつきまとわれていました。
「ちょっと嬉しいこと」というのは、練成会から2週間くらい過ぎた10月の半ばに、寮のシスターから大きな封筒が私宛に届き、あっ、来た、こんな思いは初めて、というくらいにドキドキしながら開封し、一気呵成に読んだ後の私の感想が、「みんな聞いていてくれたんだ、よかった!」ということです。私宛の感想文だったので、みんな気を遣って良いように書いたのかもしれないと思いながらも、ほとんどの子が同じように、「これまで自分の品位ということについてあまり考えたことがなかったし、考えてもせいぜい礼儀作法とか、身だしなみという程度のことだったが、本当の品位というのは自分の内面から出る もので、仲間たちとの寮生活の上でも、またこれから就職して社会人になろうとしている自分にとっても、本当に大切なものだということが分かった」と書いているのを読んで、大切なことは年齢の差はあっても伝わるのだと、それまで別の世界の人のように感じていた、ほとんど孫のような世代の人たちに対する認識を改めたような思いでした。
情けない話ですが、この練成会の話を引き受けた後、その期日が迫ってくる中で、時々、気が重くなって、なんで引き受けたのだろう、と後悔めいた気分になることもありました。黙想会のお手伝いは自分の本職ですから、いつも喜んで引き受けるのですが、講演といったものは、講話とは似て非なるもの、という思いでした。そういう思いのなかでも、これも主からの呼びかけ、相手を選ぶのは自分ではないと自分に言い聞かせながら、準備し、出かけていった結果は、自分が予想していた以上のものでした。
昔教わった一つの詩を思い出しました。
山のあなたの空遠く 「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われ人と尋(と)めゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く 「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
(「山のあなた」 カール・ブッセ 上田敏訳『海潮音』より)
幸い、というほどのことではないのですが、ちょっといいこと、嬉しいことというのは、身近に転がっているのに、まるで山のあなたの空遠く、山のあなたになほ遠くまで行かないと無いように感じることって、ありませんか?
HOME
HOME
バックナンバーへ