ヤバいかも…?!
赤波江謙一神父のよもやまメール箱
こんな体験をした人は、私のほかにあまりいないだろうなあ、と思ったことが先日ありました。10月の終わりごろ、金曜日から日曜日にかけて秋田の聖体奉仕会という修道院に行って来たのですが、体験というのは、その修道院で行われた信者さんたちの黙想会のことではなく、すべて終わって、夕方、知り合いの信者さんから秋田名物の比内(ひない)鳥味のおいしい稲庭(いなにわ)うどんをご馳走になり、いい気分で「さよなら」と秋田駅の改札口でおいとまをし、一人になった後のことでした。
黙想会が終わったのは、日曜日の昼で、その後すぐ帰京する予定でしたので、午後2時ごろの新幹線の切符を購入していたのですが、(上記の)稲庭うどんをごちそうしてくださった信者さんが、祈りの集いをするので、予定を変更して黙想会の会場の修道院に引き続き残ってくれないかと言い、午後2時過ぎに出発予定の私の切符を、7時過ぎの切符に買い換えてくださり、安心して祈りの集いに参加して、帰途に着いたというわけです。
改札を通り抜けて、自分が乗ることになっている列車を探したのですが、その時刻も発車ホームの番線も見当たりません。近くにいた駅員さんに、「この列車はどこから出るんですか?」と切符を見せると、駅員さんは切符を一目見て、「ちょっと、勘違いされてますね」と言います。「何でですか? 今日の日付に間違いありませんよ」と言うと、「今、何時ですか?」と私の顔を見ながら、いわくありげの顔で言うので、不審に思いながら、「7時過ぎですが…」と言うと、「そうなんですが、列車の時刻では19時なんですよ。この切符の発車時刻は朝の7時なんです」と言われ、初めて事の真相(?)に気づいたわけです。私の失敗というよりも、切符を買い換えてくださった信者さんの勘違いだったわけですが、切符を受け取ったときに、「出発時刻7時…」と見ていたにもかかわらず、自分の出発が19時であることにすぐ気づかなかった私の責任だ、と悔やんでも、後の祭りでした。
「どうしたらいいんですか?」と情けない声ですがる私に、駅員さんは、「切符を買い換えることはできませんから、すぐ次の列車に乗って、車掌さんに理由を説明してみてください。なんとかしてくれると思います」と言うので、言われたとおりにすると、車掌さんは、しょうがないなあ、とあきれたようなかおをしながらも、(全車指定でしたので)「空いている席に座って、その席のお客さんが来られたら代わってください」と言い、指定席の別料金も立ち席料金も取らに、デッキのすぐ近くの席に、とりあえず腰を下ろすことを許してくださいました。
こんな体験をしたこと(させられたこと)は初めてでしたが、秋田から東京までの約4時間、その車両の席がガラガラ空いていたというわけではなかったにもかかわらず、そして他の席では降りたり乗ったりする人があったにもかかわらず、私が秋田から座ったその席には、私以外に乗ってくる人はだれもなく、ずっと座ることができたというのも初めてで、ラッキー、ツイてた、というよりも、不思議な体験という感じでした。残ってほしい、という信者さんからの申し出を受けなければ、安心して東京に帰れたはずですが、自分の予定を変更したとき、どうにかなるさと思ってその申し出を受けたおかげで、座れるはずの指定席を失った、もしかしたら東京まで立つことになるかも、と思っていたら、ちゃんと自分の席が用意されていた、というわけでした。もっとも、いつ正規の指定席券を持っているお客さんが乗ってくるかと思うと、落ち着いていられなくて、東京の近くの大宮あたりまでは、ウトウト居眠りしては、ハッと目を覚ます状態が続いてはいましたが……。
最近もこれに似たようなことがありました。12月という時期は、他の月に比べて用事が増えることが多く、ずいぶん前からいろいろな申し出があって、あまり気軽に引き受けていたら困ったことになるぞと思いながらも、一方で、例によって《どうにかなるさ》と思い、「いいですよ」と引き受けていました。案の定、11月に入ったころから、修道会全体や、修道院のレベルでさまざまな動きが始まり、私の予定していた約束などの上に暗雲がただよい始め、ちょっとヤバいかも、と思っていました。ところが先日もらった12月の修道院の役割担当表での私の日程は、一箇所を除いて、私の予定していた日程を見事に素通りし、ヤバくもなんともなく、約束をすべてクリヤーできる日程になっていました。その一箇所も、他の人が快く代わってくれて、落ち着いて年末の日程をこなすことができそうです。
先日、ミサの中で読まれた、「……前もって弁明の準備をするまいと心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである」(マタイ21・14‐15)というイエス様のみことばを思い出しながら、先のことにいたずらに心を砕くより、今、呼びかけられたことに耳を傾けるほうがいい結果を生むんだ、ということを改めて実感しました。
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