波乱万丈の後に
赤波江謙一神父のよもやまメール箱 シーズン2
先日、奄美大島出身のM氏が私を訪ねて来てくれました。M氏はかつて聖パウロ修道会の福岡修道院に中学生志願者として入会した人でしたが、中学を終えて高校に進むために東京・八王子市にあった聖パウロ修学院に移って間もなく、自分の司祭としての召命を他の修道会に感じて聖パウロ修道会を退会して、その修道会に移ったという人でした。彼が福岡修道院にいたときに、私が志願者の指導司祭だったということで、上京した折に時間があったので修道院まで足を伸ばしてくれたのでした。突然の訪問で、そのすぐ後に、他の人との約束があり、長い時間を彼のためにとることができませんでしたので、「食事して行く?」と彼を修道院の夕食に招待するつもりで言いました。彼を知っている他の会員たちにも会わせようとも思ったからです。ところが彼は、「あ、いいですね。何時にしますか?」と言います。彼が外での食事を考えているんだな、と思い、同時に、ま、いいか、と思い直して、その晩、夕食を一緒にという約束をして一旦帰ってもらいました。彼が今は北海道のあるカトリック・ミッション校の教師をしていることは知っていましたが、彼が帰った後で渡されていた名刺を見て、ちょっとびっくりしました。彼はその学校の校長になっていたのです。でも、彼のお父上も奄美大島で学校の先生をなさっていたということや、彼の若いころの真面目な言動を思うと、やっぱり、と納得のいくことでもありました。
夕方の聖体訪問を終えて、約束の場所で落ち合い、居酒屋に直行したのは言うまでもありません。一本の焼酎のボトルを、彼はお湯割り、私はロックで飲みながら2時間あまり交わした会話というのは、久し振りに会っての懐かしい思い出話ばかりではありませんでした。
私は彼とのそのときの再会は彼が中学を卒業して以来と思っていたのですが、実は彼のこれまでの人生の節目節目で私たちは二回も会っていたというのです。一度目は私がイタリアにいたときに旅行中の彼が私を訪ねてきてくれた一九八五年、もう一度は彼が千葉県に住んでいたときに私が彼を訪ねた一九九五年ごろ。言われてみると、少し思い出したのですが、その二回のお互いの訪問のときに、私は彼にとってそれからの彼の人生を考え直すようなことを言ったと言うのですが、私はそのとき彼に言ったという自分の話の内容を全く覚えていないのです。へえ、そんなこと言ったの? と私がいぶかしがると、彼はおかしそうに、言いましたよ、神父さんのあの言葉が、私のそれからの生き方を決める大きなヒントになったんです、と彼は言いました。何か少しお世辞のようにも聞こえましたが、私の話が彼の人生に少しでも役に立ったのかな、という思いは私に少しの喜びを与えてくれたような気がしました。同時に、それは彼が中学時代から将来は宣教師として働きたいと望んでいたその思いを実現させるために必要な指針を、神が私の口を通して与えられたのだとも思いました。司祭となって宣教をしたい、という彼の希望はそのままかなうことはありませんでしたが、カトリック・ミッション校での教育という形を変えて実現されているのだと思います。
彼が中学三年のあるとき、私の部屋に自分の召命のことで相談に来たことがありました。そのとき彼は真剣な面持ちで、自分は将来、宣教師となって働きたいと思う、それでもっと厳しい生活をしながら自分を鍛え、そのときのためにほかの修道会に移って準備をしたい、と言ってきたのです。自分の置かれている場で自分が何をすればいいのかもよく理解できない、淡い憧れでその道を選んでいた少年が多くいた中で、私はM少年の言うことが、あまりにも真面目すぎるのを少し心配したくらいでした。そのとき私は彼に、苦労とか、厳しい生活というのは、今、中学生の君が望まなくても、将来向こうからきっとやって来る、今はここでの生活に専念して、来年はみんなと一緒に東京に行きなさい、と言ったことを覚えています。そのことを彼に話すと、彼は、へえ、私はあのころ、そんなことを言ってたんですか、全然覚えていません、と笑っていました。
結局、彼は高校途中で他の修道会に移り、上智大学の神学部哲学科に通っていたのですが、その修道会を退会し、順序は忘れましたが、大学卒業後、町工場でバイトをして金を貯め、ヨーロッパに自分探しの旅に出たり、千葉県の私立校に教職を得たり、宣教という夢を実現すべく、南米ボリビアで宣教する日本人司祭を訪ねたりしたそうです。ボリビア宣教は事情があってかなわなかったそうですが、そんなとき、北海道のミッション・スクールの教師という職を得、現在に至っているということでした。
君は、昔と全然変わっていないなあ、と言う私に、彼は、えっ、そんなに変わっていませんか、とびっくりしたように言いました。中学時代から、宣教をしたいと言っていた君の思いは、波乱万丈、紆余曲折を経たけれども、今、ミッション・スクールでの教職という宣教の場で続けられているということだよ、と言うと、そうですねぇ、と感慨深そうにうなずいていました。
焼酎のボトルも空になったので、そろそろ帰ろうか、ということになりました。お互いに少し酔っていたと思いますが、酔いの席の話しではない、神の摂理を感じる満たされたひとときに、暖かいものを感じながら、私は修道院に、彼は投宿先のホテルにと、居酒屋の前で別れを告げました。
締め切りを過ぎたメール箱の内容に悩んでいたら、目の前にあった彼の名詞にふと目がとまり、最近あった嬉しいこととして、急遽取り上げることにしました。
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