1970年
1月12日、第二代総長ルイジ・ザノニ神父が来日した。
1月25日、「パウロ家族の集い」が赤坂修道院で行われ、「聖パウロの回心」のミサとともに、パーティーが行われた。
3月19日、元田勝博修道士と内野進修道士らが初誓願を宣立した。
4月19日、ローマ総本部の総顧問グイド・パガニーニ神父が巡察使として来日した。
5月17日、右田拓磨助祭は、教皇パウロ6世によりバチカンの聖ペトロ大聖堂広場で司祭に叙階された。その後ドイツで6か月、ドイツ語を勉強することになった。
10月25日、赤坂修道院において管区長アルド・ヴァラルド神父の司祭叙階25周年の記念ミサがあり、午前中にはヴァラルド神父の司式による4名の着衣式、午後には濱尾司教により高木進修道士、橋本実修道士、田中直修道士、小川孝志修道士らの初誓願式が行われた。
12月15日、『ファミリア・クリスチアーナ』誌が創刊40周年を迎えた。

1971年
3月26日、ローマ郊外にあるアリッチャの黙想の家において、特別総会第二会期(4月1日から7月2日)に出席するため、立石幸雄神父と山野忠次郎修道士が空路出発した。この特別総会では、第二バチカン公会議決議諸文書に照らしながら、「会憲」の見直しなどが行われた。
月刊誌『世紀』はこれまでイエズス会の依頼で中央出版社が出版発行していたが、都合上、6月号をもってイエズス会に返還することになった。
5月5日、東京・四谷駅前角に「中央出版ビル」が落成した。このビルに書店と単行本編集部、カトリック編集部が入ることになった。なお一興ビルの中央出版社の所有部分はエンデルレ書店に売却された。
中央出版ビル
6月24日に帰国した右田拓磨神父はカトリック新聞と単行本編集部に勤めることになった。
6月29日、ローマの使徒の女王大聖堂で夫津木昇助祭が司祭に叙階され、その後一年間、ロンドンで英語の勉強をすることになった。
11月3日、赤坂修道院が八王子修学院として、聖パウロ学園高等学校とともに八王子市下恩方町に移転し、落成式が行われた。濱尾司教が司式し、関係者約300名が出席した。この式にはローマ総本部から副総長レナート・ペリーノ神父が臨席した。
11月6日、松本神父が福岡修道院の院長に就任し、その補佐に右田神父があたり、前田神父が八王子の志願者の指導にあたることになった。
11月14日、教皇パウロ6世は「イタリア・カトリック新聞の日」にあたり、聖ペトロ広場に集まった人たちに、カトリックのマスコミが社会にどれほど重要な役割を持っているか、それをいかに果たすべきかを語った。
11月26日、創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父が87年の生涯を閉じた。東京ではパウロ家族の会員たちが、東京のカテドラルで追悼ミサをささげた。福岡でも翌年1月8日、浄水通教会で平田三郎司教司式のもと、追悼ミサがささげられた。
12月3日、アンジェロ・ザッパロルト神父が若葉修道院の院長と『家庭の友』誌の編集長を辞任し、イタリアへ帰国した。『家庭の友』の編集長は右田神父が引き継いだ。
八王子修学院
アルベリオーネ神父の葬儀
1972年
1月8日、若葉修道院の院長に池田敏雄神父が任命された。同神父は同修道院の会計係を兼任し、執筆活動も続けた。
3月19日、赤波江謙一神父と日数谷一良修道士が終生誓願を、鈴木信一神学生らが初誓願を宣立した。なお鈴木神学生は上智大学哲学科に通うため、3月24日、若葉修道院に異動した。
前年ローマで司祭に叙階された夫津木昇神父は1年間ロンドンでの勉強を終え、8月に帰国し、前田俊郎神父の後任として志願者の指導司祭に就任し、聖パウロ学園高等学校でも英語を教えることになった。
10月25日、ザノニ総長は韓国訪問の途中、日本に立ち寄った。これで4度目の来日であるが、新築の八王子修学院を見学した。
11月13日から22日まで、八王子修学院においてヴァラルド管区長を中心に、日本の管区総会が行われた。この管区総会の特色は、「召命促進」であった。
この年に、「セント・ポール・ラジオ・センター」の活動は経済的理由で停止に至った。

1973年
1月11日、本会の司祭コース志願者の哲学課程は、今後サン・スルピス大神学院で修められることに決定され、4月に山口道晴、鶴田正広の両志願者が入学した。
5月23日付けの日本カトリック司教協議会会長・田口芳五郎枢機卿の日本管区長ヴァラルド神父あての手紙により、聖パウロ修道会が編集・発行していた『カトリック新聞』は本年末に司教団に返還されることになった。この新聞と聖パウロ修道会との関係は終戦の翌年の昭和21年(1946年)にさかのぼる。
6月3日から7月14日まで、ローマ総本部の総顧問グイド・パガニーニ神父とプランド修道士が、日本管区を巡察した。
7月17日、アンジェロ・カステロット神父の司祭叙階25周年記念が八王子修学院で行われた。
10月21日、赤波江謙一神学生の助祭叙階式が吉祥寺教会で行われた。
12月3日、八王子修学院の院長の立石幸雄神父は中央出版社の総責任者に任命された。院長後任として谷口不二男神父が任命され、副院長は永富神父。また福岡修道院で志願者の養成に力を尽くしていた塚本孝夫神父は『家庭の友』の編集長に任命され、その後任に1972年2月から『家庭の友』の編集長をしていた右田神父が任命された。同神父は翌年の11月に同誌の編集長に復帰した。また単行本の編集長は、立石幸雄神父のあと、1974年1月から1980年までは山口輝男神父が勤めた。この単行本編集部には数年間師イエズス修道女会のシスター2名が協力した。

1974年
3月19日、八王子修学院で4名が着衣し、永富久雄神父のもとで修練を開始した。
5月には聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会の間に「合同使徒職諮問委員会」が発足し、おもに普及の面での協力が話し合われるようになった。
5月15日、聖パウロ女子修道会福岡修道院が小笹の地に完成し、落成式を迎えた。これで福岡ではパウロ家族の三会が物心両面の交流を深めることになった。
6月30日、八王子修学院に濱尾文郎司教を迎えて聖パウロ修道会創立60周年、来日40周年を記念し、修道院聖堂で赤波江謙一助祭の司祭叙階式が行われ、また山野忠次郎修道士の修道誓願25周年記念と七種一一修道士らの終生誓願式が行われた。
8月、霊性センターからジョヴァンニ・ロアッタ神父を迎え、八王子修学院でパウロ家族の合同黙想会が行われた。
10月、福岡修道院では設立25周年を迎えた。

1975年
2月6日、聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会は、東京・若葉修道院で合同管区評議会を開き、先に設立された「合同使徒職諮問委員会」の提案に基づき、「合同使徒職実行委員会」を設立した。その目的は、出版や普及面でも情報交換や協力などを実行することにある。
3月9日〜15日、八王子修学院で年の黙想が行われた。黙想指導はマルチェリーノ神父。
3月19日、塚本修治修道士、洗川修一修道士らが初誓願を、楠本正良修道士が終生誓願を宣立した。
4月、広報委員長の糸永司教の要請により、中央出版社と女子パウロ会が発起人となり「カトリック出版連絡会」が結成された。
4月26日〜5月2日、藤沢市聖園記念館で年の黙想が行われた。
5月10日から8月21日まで、アリッチャの黙想の家で総会が開催され、その間に第三代総長にラファエロ・トンニ神父が選出された。
9月24日、マルチェリーノ神父は若葉修道院で司祭叙階50周年記念ミサをささげ、翌日病気静養のためイタリアへ帰国した。
11月15日、グイド・パガニーニ神父はローマ総本部で総顧問を務めていたが、任期満了に伴い、一時カナダに派遣されていたが、日本の第三代管区長に就任した。
12月24日、聖年の幕が閉じた。1年間のローマへの巡礼者は約1000万人。この聖年は「和解と刷新」がテーマであった。
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